早河シリーズ第三幕【堕天使】
 手元にあるだけの現金を財布に詰めた。とりあえずの着替えや荷物をキャリーバックに押し込み、貸金庫の鍵は失くさないように小さなポーチに入れてポシェットの底に。

(あとは……)

 テーブルに出しっぱなしになっている手帳サイズのアルバムが目に留まる。
このアルバムは莉央の高校生活の結晶。これまでに友達と撮った写真やプリクラでアルバムは埋め尽くされていた。

 2年生の修学旅行、1年生と2年生の文化祭と体育祭、3年生の遠足、お泊まり会……香道なぎさや加藤麻衣子、クラスメートと一緒に写真に写る莉央は楽しそうに笑っていた。

どうしてもそのアルバムを置いていく気にはなれず、キャリーバックの中にアルバムも入れた。

 部屋を出る直前にドレッサーに置かれた指輪の小箱を開ける。小箱に収まる銀の花の指輪は二度と莉央の左手薬指に嵌まることはない。

(これは置いていきます。ごめんなさい)

小箱の下にラベンダー色の封筒を挟んで部屋を出た。廊下でトメが待っている。トメはこの家出計画のたったひとりの協力者。

「トメさん。今までありがとう。元気でね」

 トメは泣いていた。涙を流して彼女は莉央を抱き締めて最後の会話を交わす。

 辺りが薄暗くなる頃にトメに見送られて莉央は裏口から樋口邸を出た。

持ってきたものは銀色の鍵と金色の指輪、そして大切な思い出。
置いてきたものは束縛と愛の証の銀の花の指輪。

 どこに行くあてもない。どこに行こうとしているわけでもない。
 空は薄紫のグラデーション。蒸し暑さの中で、時折吹く夜風が心地よかった。

 死ぬとも生きるとも、死にたいとも生きたいとも今は何も思えなかった。

何も考えずにあてもなく、
どこへ向かうわけでもなく、
どこに辿り着くわけでもなく、
ただただ歩いて、電車に乗って、また歩いた。
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