早河シリーズ第三幕【堕天使】
 隣で眠る莉央の寝顔を眺めて貴嶋は苦笑した。我ながら自制が効かず、少し無理をさせてしまったようだ。

汗と涙で濡れた彼女の髪の毛を優しく整えてやり、彼はベッドを降りた。裸体にバスローブを羽織って寝室を出る。
シャワーを浴びる前に渇いた喉を潤したい。

 外には夜の帳が降りていた。ミネラルウォーターを注いだグラスを持ってリビングのソファーに腰掛けた彼は、玄関の扉の開く音に口元を上げる。
リビングに姿を見せた長身の男はスコーピオンだ。

『帰って来たか』
『はい。お暇をいただき、ありがとうございました』

 慇懃なスコーピオンはバスローブ姿の貴嶋を見ても驚かない。先刻までの出来事を知ってか知らずか、スコーピオンの帰宅は事を終えた後の絶妙なタイミングだった。

いや、もしかしたら一度帰ってきて、部屋から漏れ聞こえる情事の音に配慮した可能性もある。
どちらにしろ、スコーピオンはタイミングのいい男だ。

『君はこの展開を予期していたのではないだろうね?』
『私には予知能力はありませんよ』
『ほぉ。以前はあんなに堅物だったのに君も洒落が通じるようになったねぇ』
『貴方様にお仕えするようになってからですね』

 二人の男は意味深に笑い合う。スコーピオンはテーブルに置かれた二つのカップに目を留めた。
カップにはわずかに残った冷めたコーヒーが入っていた。

『クイーンがお作りになられたのですね?』
『ああ。莉央のコーヒーは美味しかったよ。君の教えのおかげだ』
『あの方は聡明です。教えたことはすぐに吸収して自分のものにされる筋のいい方です』
『……来年の話になるが、莉央をニューヨークに連れていくよ』

 二つのカップを持ち上げてキッチンに向かうスコーピオンの背中に貴嶋が放つ。スコーピオンは身体の向きを変えて直立不動で主を見据えた。

『では、そろそろ?』
『そうだね。そろそろ莉央に銃の扱いを学ばせる。来年になればニューヨークも今よりは落ち着くだろう。向こうの関係者とは交渉済みだ』
『かしこまりました』

 スコーピオンが一礼してキッチンに消える。ミネラルウォーターを飲み干した貴嶋は自室の扉に目をやった。

今日、莉央は真の意味でクイーンとしての一歩を踏み出した。彼女がクイーンとなる道のりはこれからだ。

 不穏な音色のプレリュードはやがてメンデルスゾーンの結婚行進曲へ切り替わる。
赤と黒の薔薇が散る魔王と堕天使の結婚式。

血のように赤い月が愛を誓う魔王と堕天使を見下ろしていた。



失楽園 Sequel ーENDー
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