早河シリーズ第三幕【堕天使】
 規制線の外側に立つ俊哉は憮然としていた。

『うちの会社のデータが全部なくなっているんだ』
『なくなっているとは、具体的にどういうことですか?』
『そのままの意味さ。こいつはうちのシステムエンジニアだから後はこいつに聞いて』

 俊哉は後ろにいる眼鏡の男を上野達の前に押し出した。
神経質そうな眼鏡の男は樋口コーポレーションのシステムエンジニアの大塚と名乗る。大塚は開いたノートパソコンを彼らに差し出した。

『これを見ていただけるとわかると思いますが、このアイコンが樋口コーポレーションの社員情報、顧客情報、取引の金額など会社の最重要機密がすべて入っているデータベースなんです。でも今は……』

大塚の指がアイコンをクリックするとerrorの文字が表示された。

『システムの解析をしましたがコンピューターシステムがハッキングされてデータベースごと破壊されていました。僕はシステムの管理には絶対的な自信を持っています。僕のセキュリティが破られるはずないのに……』

絶対的な自信を持っていたセキュリティシステムが破られる失態を犯した大塚は悔しさで肩を震わせていた。

 樋口雅子の殺害を聞き付けた報道陣が樋口コーポレーション本社前に集まってきている。本来なら夜の静けさに包まれている午後10時のオフィス街が、今はテレビ局のカメラのライトやフラッシュの明かりで昼間のような明るさと賑わいだ。

 俊哉はマスコミの目を避けて本社ビルの裏口から迎えの車に乗り込んだ。現時点でマスコミの前に出ても話せることは何もない。
彼はマスコミと野次馬で埋め尽くされた本社前の通りを車窓から眺めた。

兄が死に、母も死んだ。しかしそれほど悲しくもない。むしろ社長、会長と失い、データベースも破壊されて窮地に陥った樋口コーポレーションを新社長としてどう立て直すかで頭がいっぱいだった。
雅子が居なくなったのなら社長どころではなく、俊哉が事実上の樋口コーポレーションのトップだ。

 先ほどから俊哉の携帯電話はひっきりなしに着信を鳴らしている。会社の重役や取引先の社長、株主への電話応対も疲れた。

 妻にはこれからどうなるのかと散々喚かれ、ヒステリーを起こした妻はひとり息子を連れて実家に帰った。

もともと会社のために政略結婚で夫婦になった仲だ。互いに浮気相手の存在は容認済み。
最初から妻に愛などない。離婚したければすればいい。

会社の今後を考えなければならないが今は自宅に戻って休みたい。

(どこの誰だか知らないが面倒なことしやがって)

 姿の見えない殺人者に怒りを覚えながらも、いつの間にか俊哉は車内で眠りについていた。
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