早河シリーズ第三幕【堕天使】
 3月21日。7年前まで樋口家で家政婦として勤めていた仙道トメの聴取が行われた。

樋口コーポレーション前会長、樋口祥一と寺沢美雪の娘の名前は莉央。
トメは涙ながらに莉央について語った。

「お嬢様はとてもお優しい方でした。私のような使用人にも分け隔てなく接して……お嬢様からいただいた手紙が私の宝物です」

 樋口祥一の死後は家政婦のトメが莉央の心の拠り所だった。トメは今でも莉央の身を案じ、彼女から貰った手紙を大切に保管していた。

早河がみき子から入手した中学時代の寺沢莉央の写真となぎさが所持していた高校時代の寺沢莉央の写真、科学的な分析をしなくとも二人の寺沢莉央が同一人物であることは明らかだった。

        *

3月22日(San)午前11時

 早河はなぎさを連れて警視庁に赴《おもむ》いた。2年前に刑事を辞めて以来の訪れとなるかつての職場は、相変わらず殺伐とした空気に包まれている。

 なぎさの高校時代の友人である寺沢莉央が樋口コーポレーション社長と会長の殺人事件の重要参考人として手配されたため、莉央をよく知るなぎさが事情聴取の目的で呼ばれた。

『そんなに緊張しなくていい。ありのままを話せばいいんだ』
「はい」

なぎさの表情は固い。彼女はうつむいて早河の隣を歩いていた。

 突如、早河が歩みを止めた。長い廊下の先を彼は見据えている。
前から警察官の制服を着た男が後ろに三人の男を従えて歩いてくる。

『お久しぶりです。笹本警視総監』
『早河くん、元気そうだね』

先頭を立って歩く男は警視庁トップの警視総監の任に就く笹本尚之。早河が刑事を辞める決定的な引き金となったのは、笹本との確執だった。

『俺の名前を覚えていてくださったんですね。光栄です』
『君のような組織の命令系統を乱すはみ出し者を忘れるわけないさ』

 人を小馬鹿にする笹本の笑い方がなぎさは不愉快だった。早河と笹本の間に流れる不穏な空気を彼女も肌で感じ取る。

『あなたの飼い犬になっていたら何もできませんからね。今は好きなようにやれて気楽ですよ』
『ふん。しかし君達は犯罪者と縁があるようだね。そこのお嬢さんは君を庇って殉職した香道刑事の妹さんなんだろう? 君とは“いい仲”だと聞いているよ』

 笹本の視線がなぎさに向く。早河はなぎさを庇うように彼女を背中に隠した。

『俺と彼女のことでどんな噂が流れているのか知りませんが、彼女は仕事上のパートナーです』
『まぁいい。君のプライベートに私は関心がないからね。君に貴嶋佑聖は潰せないだろう。大人しく浮気調査でもして日銭を稼いだらどうかな?』
『やってみないとわからないことを断言しないでいただきたいですね。貴嶋もカオスも必ず俺が潰しますよ。……急ぎますので、これで失礼します』

 早河は笹本の横を堂々と通り過ぎる。なぎさも笹本をひと睨みしてから早河の後を追った。
笹本は鼻で笑い、部下を引き連れて早河達とは反対方向に歩いていく。

「あの人が警視総監ですか?」
『そう。俺が刑事を辞めた時も警視総監だったけど今もまだ総監の地位にいるんだな』
「なんかすっごくムカついてきました! なによアレ……私と所長を馬鹿にしてっ。あんな奴が警視庁のトップなんて信じられない」

眉を寄せて怒りを露にするなぎさの肩を早河が軽く叩く。

『気にするな。俺が命令に従わなかったことがあの人は気に入らないんだよ。あの時の直属の上司が上野さんでよかったって心底思う』

 捜査一課のフロアで上野恭一郎と小山真紀が待っていた。馴染みの二人の顔を見たなぎさは少しだけ緊張の糸がほぐれ、早河と共に応接間に入った。



第二章 END
→第三章 レーゾンデートル に続く
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