早河シリーズ第三幕【堕天使】
 どれだけ隠蔽しようとしても真実は往々にして在るべき形で知るべき者の耳に入るものだ。

 11月最後の夜は冷え冷えとしていた。深夜、寝付けない莉央は温かい飲み物が欲しくなった。

三階の部屋を出て階段を降りた。リビングに通じる廊下に灯りが漏れている。こんな時間にリビングに誰かいるのだ。

『それにしても薬をすり替えるだけで本当にポックリ逝っちまうとはな』

 リビングから宏伸の声が聞こえる。身構えた莉央は足音を立てずに引き返し、階段の影に身を潜めた。

(薬をすり替えた?)

うずくまって聞き耳を立てる。宏伸の他にも声が聞こえた。

『でも俺達の計画に永山センセーが協力してくれるとはね。センセーも立派な共犯者だぜ』
『僕はすり替えたピルケースの中身を元の薬に戻しただけですよ。祥一様は薬を飲み忘れたことで発作を起こされた……“そういうこと”になっているんです』

 今度は俊哉と主治医の永山医師のやりとり。彼らの話を聞いた莉央は父の死の真相を悟った。

(まさかお父様は……)

心臓が動悸し、手が震える。

「あれは事故よ。この件はここにいる全員の秘密よ。特に莉央に知られることのないように。まぁ、莉央が知ったところであの子には何も出来ないでしょうけどね」

 雅子の高飛車な笑いが耳について離れなかった。莉央は静かに階段を上がって自室に飛び込んだ。

(お父様はアイツらに殺された)

 許せない許さない。絶対に……許さない。

        *

 ──2年後。2002年8月11日。日が少しずつ傾いて夏の夕暮れの気配が漂っている。

 莉央は机の引き出しを開けて銀色の鍵を握りしめた。そうして母の形見の金色の指輪を右指に嵌める。
銀色の鍵と金色の指輪。父と母がそこにいるような気がした。

 部屋を出た莉央を廊下でトメが待っていた。莉央はトメを抱きしめ、最後の挨拶を交わす。
辺りが暗くなり始めた頃、涙ぐむトメに見送られて莉央は裏口から樋口邸を出た。

 どこに行くあてもない。どこに行こうとしているわけでもない。
空は薄紫のグラデーション。蒸し暑さの中で吹く夜風が心地よかった。

 迫り来る夜の闇。煌びやかなネオンが光る街並み。

歩道橋の上から眺める景色が綺麗だった。車のライトが連なって流れていく。
死ぬのを急ぐことはない。でもあの綺麗な渦の中心に行ってみたい。

 莉央は歩道橋から身を乗り出した。前傾になった華奢な身体が歩道橋の柵を越える。
あと少しで綺麗な渦の中心に行けると思った莉央の腕を誰かが掴んで引っ張った。

重心が後ろに引かれてバランスを崩した彼女の身体を長い腕が抱き留める。
若い男の顔が莉央の目の前にあった。

『死ぬ前に私と少しお話しないかな?』

 蒸し暑い夏の夜。孤独な天使は闇の魔王に出逢った。魔王は天使に囁いた。

『君の居場所ならここにある』


第三章 END
→第四章 女王降臨 に続く
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