早河シリーズ第三幕【堕天使】
3月25日(Wed)午後10時
港区麻布十番にそびえる二十七階建てタワーマンション。十九階に樋口俊哉が妻子と暮らしていた住まいがある。
所有面積100.99㎡の3LDK。広々とした部屋には俊哉の姿だけがある。
今日、妻との離婚が成立した。送られてきた離婚届けに必要事項を記入するだけの行為。
息子の親権は妻にある。どのみち今の状況では俊哉に子育ての余裕はない。
まずは樋口財閥を建て直し、頃合いを見計らって長男を引き取り後継者として教育すればいい。俊哉にとってはそれだけの話だ。
十七畳のリビングに置かれた大きなソファーに寝転んで、俊哉はちびちびとウイスキーを呷《あお》っていた。
兄の宏伸に続いて母の雅子までも殺され、樋口コーポレーションは窮地に陥っている。何者かが樋口コーポレーションのコンピューターをハッキングし、データはすべて破壊された。
雅子が殺された直後にマスコミ各社に樋口雅子、宏伸が犯してきた悪行を暴いた内容のメールやファックスが送られた。
加えて前会長の樋口祥一の死が病死に見せかけた殺人だったことを告発する書面も送られ、それによって樋口コーポレーションの株価は急落。
自己都合退職を願い出る社員が続出した。
警察から重要参考人として腹違いの妹の莉央の名前が挙げられて彼は驚いた。莉央は家出した7年前に死んだものだと思っていた。
いや、そう思いたかっただけだ。もしも莉央が生きていて、誰か他の男の隣で幸せに笑って生きているとしたら、そんな未来を俊哉は知りたくないと思った。
死んでいると思い込んでいる方がまだマシだ。
自分のもとを去った妹が再び現れた。復讐のために。
『莉央の奴……俺をこんな目に遭わせてただじゃおかないからな……っ!』
「じゃあどうするつもり?」
ヒールの足音が聞こえて俊哉は跳ね起きた。いつの間にか開かれていたリビングの扉の前に女が立っている。
俊哉は女を指差した。
『お、お前……莉央……なのか?』
「他に誰がいるのよ。化け物でも見たような顔しないでくれる?」
『どうやって入った? このマンションは指紋認証と暗証番号がないと入れないんだぞ。玄関の鍵だってダブルロックで……』
「やだ。雅子さんと同じ事言ってる。マンションのセキュリティシステムをいじっただけよ」
レッドソールの靴のまま寺沢莉央はリビングに足を踏み入れた。黒のワンピースから伸びた白く細長い彼女の足を俊哉は嫌でも目で追ってしまう。
莉央はワンピースの上に羽織る黒いトレンチコートのポケットに両手を入れていた。
『でも表には護衛の刑事が……それにフロントにコンシェルジュだっているだろっ!』
「コンシェルジュのお兄さんにはちょっと眠ってもらってる。警察の情報もこちらに入ってくるの。護衛の刑事の交代時間を知るのも簡単なことよ」
ぐるりとリビングを一周して彼女は窓際に立った。
港区麻布十番にそびえる二十七階建てタワーマンション。十九階に樋口俊哉が妻子と暮らしていた住まいがある。
所有面積100.99㎡の3LDK。広々とした部屋には俊哉の姿だけがある。
今日、妻との離婚が成立した。送られてきた離婚届けに必要事項を記入するだけの行為。
息子の親権は妻にある。どのみち今の状況では俊哉に子育ての余裕はない。
まずは樋口財閥を建て直し、頃合いを見計らって長男を引き取り後継者として教育すればいい。俊哉にとってはそれだけの話だ。
十七畳のリビングに置かれた大きなソファーに寝転んで、俊哉はちびちびとウイスキーを呷《あお》っていた。
兄の宏伸に続いて母の雅子までも殺され、樋口コーポレーションは窮地に陥っている。何者かが樋口コーポレーションのコンピューターをハッキングし、データはすべて破壊された。
雅子が殺された直後にマスコミ各社に樋口雅子、宏伸が犯してきた悪行を暴いた内容のメールやファックスが送られた。
加えて前会長の樋口祥一の死が病死に見せかけた殺人だったことを告発する書面も送られ、それによって樋口コーポレーションの株価は急落。
自己都合退職を願い出る社員が続出した。
警察から重要参考人として腹違いの妹の莉央の名前が挙げられて彼は驚いた。莉央は家出した7年前に死んだものだと思っていた。
いや、そう思いたかっただけだ。もしも莉央が生きていて、誰か他の男の隣で幸せに笑って生きているとしたら、そんな未来を俊哉は知りたくないと思った。
死んでいると思い込んでいる方がまだマシだ。
自分のもとを去った妹が再び現れた。復讐のために。
『莉央の奴……俺をこんな目に遭わせてただじゃおかないからな……っ!』
「じゃあどうするつもり?」
ヒールの足音が聞こえて俊哉は跳ね起きた。いつの間にか開かれていたリビングの扉の前に女が立っている。
俊哉は女を指差した。
『お、お前……莉央……なのか?』
「他に誰がいるのよ。化け物でも見たような顔しないでくれる?」
『どうやって入った? このマンションは指紋認証と暗証番号がないと入れないんだぞ。玄関の鍵だってダブルロックで……』
「やだ。雅子さんと同じ事言ってる。マンションのセキュリティシステムをいじっただけよ」
レッドソールの靴のまま寺沢莉央はリビングに足を踏み入れた。黒のワンピースから伸びた白く細長い彼女の足を俊哉は嫌でも目で追ってしまう。
莉央はワンピースの上に羽織る黒いトレンチコートのポケットに両手を入れていた。
『でも表には護衛の刑事が……それにフロントにコンシェルジュだっているだろっ!』
「コンシェルジュのお兄さんにはちょっと眠ってもらってる。警察の情報もこちらに入ってくるの。護衛の刑事の交代時間を知るのも簡単なことよ」
ぐるりとリビングを一周して彼女は窓際に立った。