早河シリーズ第三幕【堕天使】
 3月下旬。高校が春休みを迎えた莉央は部屋でミルクティーを飲んでいた。

学生には定められた長期休暇があるが、社会人には3月に公式な長期休みはない。樋口コーポレーション会長の雅子、社長の宏伸、副社長の俊哉は今日も仕事に出ている。
長期休暇の平日、家に誰もいない時間が莉央には気が楽だった。

 めったに漫画を読まない莉央は、なぎさから借りた少女漫画を読み耽る。10巻まである少女漫画は展開が面白くて、夢中になって5巻まで読み進めた。

そうして時間を過ごす莉央の携帯電話が着信したのは午後1時過ぎ、会社にいる俊哉からの電話だ。

{トメや他の使用人はいないのか? 家の電話にかけても誰も出ないぞ}
「トメさんは河田さんと峰さんと一緒に築地市場に行っています。戻りは3時頃になるって言っていました」

河田と峰はトメの他に雇っているメイドだ。

{トメが築地に行く日って今日だったのか}
「どうしたんですか? 今お仕事中じゃ……」
{部屋に忘れ物したんだ。午後の会議に使う資料だから秘書に取りに行かせた。莉央、悪いけどその書類を俺の部屋から取ってきて秘書に渡してくれない?}
「わかりました。お部屋入りますね」
{ああ。うちの社名が入った白い封筒が多分テーブルのとこに置いてある}

 俊哉との電話を繋げたまま莉央は同じ階にある彼の部屋に入った。何度か一緒に朝を迎えた俊哉のベッドが目に入る。

室内には俊哉が愛用している男物のコロンの香りが立ち込めていた。

「ありました。会社名の入った白い封筒……」
{それそれ。秘書の根岸って奴が取りに来るから、そいつに渡しておいて。あと10分くらいでそっちに着くと思う}
「はい。渡しておきます」

 莉央は封筒を手にして階下に降りた。使用人が不在の家は今は莉央ひとりきり。
リビングのソファーでそわそわしながら秘書の到着を待つ。

(秘書の根岸さん……。そうだよね、俊哉お兄さんは副社長だから秘書がつくのも当たり前だよね)

俊哉の秘書には会ったことはない。秘書どころか会社の重役にすら、祥一が存命の頃に一度紹介されたきりだ。

 封筒に印字された樋口コーポレーションの名をまじまじと見る。
自分はまだ高校生、俊哉は社会人。それも大手企業の副社長だ。莉央の知らない俊哉がそこには存在していることに一抹の寂しさを感じた。

 俊哉の電話から15分程度経過した頃に樋口邸の呼び鈴が鳴った。インターホンのモニターに映る人影は莉央の予想に反して女性だった。
モニター越しに来客は根岸と名乗った。

(俊哉お兄さんの秘書って女の人だったんだ)

勝手に秘書の根岸は男性だと思い込んでいた。それは何故?
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