早河シリーズ第三幕【堕天使】
 樋口邸を出た響子の赤い車が樋口コーポレーション社員専用駐車場に停車した。書類を抱えて彼女は副社長室に入る。

「こちら受け取って参りました」
『ご苦労さん。悪かったな』

デスクで仕事中の俊哉に書類の入る封筒を渡す。俊哉はパソコンから目を離さず、片手間に封筒を受け取って中身を出した。

「莉央お嬢様にお会いしました」
『あいつ、ちゃんと挨拶できてたか?』
「ええ。とても礼儀正しくて。さすが良家のお嬢様ですね。それに副社長のお話通りでした」
『俺の話通りって?』

 パソコンから顔を上げた俊哉が初めて響子を見る。含み笑いをする響子は俊哉の傍らに寄り、彼女の手が俊哉の肩に添えられた。

「この世の者とは思えない天使のような美少女。あなたはお嬢様をそう言っていたの」
『そんなこと言ったっけ?』
「言いました。私の家の私のベッドの中で。酔っていたから覚えてないのね」

 溜息を漏らした響子は腰を屈めてローズピンクの唇を俊哉の口元に押し付けた。俊哉は拒まず、二人はねっとりとしたキスを交わす。

「莉央お嬢様、想像以上に綺麗な子ね。お肌もぴちぴちして、あれだけ素顔が整っているならお化粧の必要もない。あなたが悪い虫がつかないように過保護になるのも無理ないわ」
『悪い虫ねぇ。俺ってそんなに過保護?』
「自分で気付いてないの?」

 響子の腰に手を回して俊哉は響子を膝の上に乗せた。身体に女の重みが伝わる。
まだ少女の莉央にはない濃厚な重みだ。

「だけど私は残念ながらお嬢様には好かれなかったみたい」
『莉央は人見知りなんだ。それに一度会っただけで好き嫌いがわかるものじゃないだろう?』
「一度会っただけでわかるものよ。特に女と女は」

 意味深に言葉を濁して響子は彼の上から退いた。廊下を歩く足音が聞こえ、響子の予想通りに扉がノックされた。

副社長室に入ってきた男性社員が会議の開始を知らせに来た。

 会議に出席する俊哉を見送って響子は副社長室にひとり残された。隣の秘書室に向かいかけた響子は踵を返し、俊哉のデスクの引き出しを漁り始める。

俊哉はいつも二段目の引き出しに手帳を入れている。案の定、彼の手帳はすぐに見つかった。

 彼女は躊躇なく手帳のページをめくる。
俊哉のスケジュール調整をしたのは他ならぬ響子だ。3月31日と4月1日は私用があるから予定を入れないでくれと頼まれていたことを思い出す。

2001年3月31日土曜日の欄に予定が書き込まれていた。

「旅館 富士里《ふじさと》、チェックイン14時……ふぅん。誰と泊まる気かな?」

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