早河シリーズ第三幕【堕天使】
『俺と自分の立場の違いを考えてみろ。お前は確かに秘書としては有能だが、所詮《しょせん》はそこまでの地位。俺は財閥を背負う身だ。俺の結婚相手は親が決める。俺と結婚して副社長夫人なんてものを夢見ていたのなら残念だったな』

俊哉の頬を響子が叩いた。涙目で彼をねめつける。

「最低……! 最低な男ね。あなたの妹も兄と関係を持つなんて……あの子もウブな顔して裏側ではやることやってるんじゃない!」
『嫌なら俺から離れろ。お前も妹を抱いてる最低な男に抱かれたくないだろ?』

 響子の腕を掴み、乱暴に引き寄せた俊哉は彼女に最後のキスをした。嫌でも彼を受け入れてしまうのは惚れた側の弱味。

俊哉は抵抗する響子を床に組み敷き、また乱暴にキスをする。破かれて裂けた写真の上に響子のロングヘアーが散った。

『莉央には手出しするな。莉央を傷付けていいのは俺だけだ。俺を裁けるのも莉央だけだ』
「あなたはおかしい……! 狂ってる!」
『そんな事お前に言われなくともわかってる。このまま最低な男に犯されたくなかったら写真のネガを渡せ。そして永遠に俺の前から消えろ』

 響子の上から退いた俊哉はネクタイを緩めてデスクに寄りかかった。身体を起こした響子は唇を噛んで顔を伏せる。

「あの子と別れる気はないのね」
『別れない。俺は莉央を手離さない。できることなら一生、手離したくはない』
「自分のやってることが虚しくならないの? いくら好きでも相手は妹なのよ?」

 落ちていた写真の切れ端に響子の指が触れる。桜の木に囲まれた莉央の綺麗な顔が写っていた。

 艶やかな黒髪、白くて滑らかな肌、整った目鼻立ち、小さな顔、スラリと細長い手足、華奢な体つきにも関わらず発育の良い柔らかそうな胸。

努力が不要の美貌。女が羨むすべてのものを莉央は生まれながらに持っている。
同性の響子でさえも、莉央の美貌には目を奪われる。

『虚しいけど止められないってところだな。莉央を抱いた後はいつも罪悪感に襲われる』
「それでも好きなのね。この天使が」
『惚れちまったものは仕方ない。お前には悪いが……』
「もういい。こんな最低な別れ話は初めてよ。今までで一番、最低で最悪な気分」

 肩を揺らして笑った響子は立ち上がり、タイトスカートのシワを伸ばした。

「明日、退職願を提出します。それと写真のネガも。うちの秘書課は優秀ですから私がいなくても仕事は回りますのでご心配なく」
『わかった』
「……さようなら」

 俊哉の顔を見ずに告げた別れの言葉を最後にして響子は副社長室を辞した。翌日に退職願を出した根岸響子は樋口コーポレーションからも俊哉の前からも去った。
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