早河シリーズ第三幕【堕天使】
 話が一段落したところで図ったように雅子と相澤会長が目を合わせた。

『それじゃあ直輝。莉央ちゃんをしっかりエスコートしてあげなさいね。莉央ちゃん、また後でね』

 相澤会長は雅子と連れ立って会場の人混みに消えた。莉央を監視するようにぴったりと付き添っていた雅子がいなくなって安堵した莉央は、思わず溜息を漏らした。

『大丈夫ですか?』
「ええ。パーティーに出るのは初めてなので気後れしてしまって」
『そんなに緊張しなくてもいいですよ。人の多さに酔ったのかもしれない。気晴らしに会場の外に出ましょうか』

相澤は莉央の左手に下から手を添えてさりげなく持ち上げた。彼の所作のすべてが洗練されている。

 相澤が莉央をエスコートして会場を横切ると場内がざわつき始めた。

『あれは相澤会長のお孫さんだ』
『ああ、フランスから帰って来たばかりだと聞いたが』
「あら、もしかして樋口財閥のお嬢様と?」
『お綺麗なお嬢様だ』
「お似合いのカップルねぇ」
「パーティーを抜け出して二人でお出かけかしら?」

 悠々と歩く相澤と莉央を眺める人々は口々に二人の噂を囁く。相澤の完璧なエスコートで莉央が扉から出ていくのを俊哉は会場の隅で見つめていた。

「さっき外に出ていったお嬢様、樋口さんの妹さんですよね? 相澤グループのご長男とお付き合いされていらっしゃるの?」

 俊哉の隣には別会社の女社長がいる。彼女は黒いロングドレスの上から羽織った赤いショールをわざと下げて肩を露出させている。女はその肩を俊哉の身体に寄せていた。

『相澤グループの長男は妹の婚約者です。このパーティーは名目は相澤会長の誕生パーティーですが、妹と婚約者を会わせるための見合いでもあるんですよ』
「へぇ。お見合いのためにこんなお高いホテル貸し切っちゃうなんてさすが相澤会長ね」

 憮然としてグラスに入る酒を呷《あお》る俊哉は身体をすり寄せてくる女社長を見下ろした。三十代前半のこの女は二十代の頃にファッションモデルをしていた縁で今はモデル事務所の社長をしている。

彼女の事務所所属のモデルを樋口コーポレーションの広告モデルに起用したことがある。業界では頭の切れるやり手社長で有名な女だ。

「でも妹さんの婚約者を見ていた樋口さん、すごく怖い顔していたように見えましたけど、お兄さんとしては複雑な気持ち?」
『妹はまだ高校生なので婚約なんて早いとは思っていますよ』

女社長は笑って俊哉の肘に触れた。

『何か可笑しいですか?』
「いいえ。妹さんのことをとても可愛がっていらっしゃる、いいお兄さんだと思いましたの。いつもはクールな樋口さんの意外な一面が見れて今夜はとっても楽しい」

 俊哉は女社長の誘うような上目遣いの視線を無視して会場の閉ざされた扉をじっと見ていた。あの扉の向こうに相澤直輝と消えた莉央のことで俊哉の思考は支配されていた。
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