早河シリーズ第三幕【堕天使】
3月下旬の小雨が降る火曜日の夜。ジャズ音楽の流れる薄暗い店内で相澤直輝はある人物を待っていた。
『待たせたね』
相澤の向かいの椅子を引いてグレーのニットにジーンズ姿の男が腰かけた。この男には珍しいラフな装いに相澤は少しばかり驚いた。
『3分17秒の遅刻ですね』
『君は相変わらず時間にシビアだなぁ』
男は笑ってジーンズの脚を組んだ。
『今日は珍しい服装をしていますね。好みが変わられましたか?』
『たまにはね。ひとりで出歩く時はあまり街から浮かない服装をしてみようかと思って。こうすれば私もその辺にいる大学生に見えないかい?』
両手を広げておどけて見せる男は、年齢は相澤と同年代の20代前半だ。しかし彼は到底大学生には見えない。
相澤は相手の機嫌を損ねないよう軽く笑っただけに留めた。
『今日はいつもとは毛色の違う物を持ってきたよ』
男はクラッチバッグから取り出した小さな紙袋をテーブルに滑らせた。袋を受け取った相澤は中から薄いオレンジ色の粉末が入った小袋をつまみ上げる。
『これは?』
『中東で流行っている媚薬さ。即効性が強く、どんなに淡白な人間でも使用中は気分が官能的になりエクスタシーを感じやすくなる』
『面白い物を手に入れましたね。つまりは性欲促進剤ですね。“キング”も使用されたのですか?』
相澤はグレーのニットの男をキングと呼んだ。それが彼の名前だ。
キングは答える代わりに片目を細くして微笑んだ。相澤の問いの答えはイエスだ。
『どんなに淡白な人間でもエクスタシーを感じやすくなる……と仰いましたね』
『誰か使いたい女でも?』
『ひとりいます。僕の婚約者の女の子にぜひ使ってみたいですね』
『例の相澤会長お気に入りのお嬢さんだね。どんな女性なのかな?』
相澤の婚約者の話題にキングは興味を示した。
『綺麗で頭の良い子ですよ。見た目だけなら僕がこれまで接してきた女の中で一番と言っていい。ただ女にしては、少々頭が良すぎましてね』
『頭の良い女性は君も嫌いじゃないだろう? 馬鹿よりはいい』
『確かに。会話をしているだけなら頭の良い女性の方が好きですよ。ですが、雌としては馬鹿な女の方が楽しめます。婚約者の彼女は僕に抱かれていても心はいつも別の場所にある。まったく僕に屈しない。だからこれを使ってあの子の綺麗で澄ました顔が本物の快楽に崩れ落ちていく様子を見たいですね』
相澤は小袋を目の高さまで上げて左右に振った。オレンジの粉末がカサカサと音を立てる。
『サディスティックだね』
『僕に屈しない女は面白くない。彼女は高校生にしては冷めているんです。もしかしたら彼女は世の中のすべての男を嘲笑っているのではないかと思う時もありますよ』
この魅惑的なクスリを莉央に使うとどうなるのか、想像するだけで愉快だった。あの綺麗な顔を快楽に歪ませて支配したい衝動に駆られる。
取引を終えて相澤が去った店内でキングはジャズの音色に耳を傾け目を閉じた。
『相澤直輝の婚約者。興味深い存在だ』
『待たせたね』
相澤の向かいの椅子を引いてグレーのニットにジーンズ姿の男が腰かけた。この男には珍しいラフな装いに相澤は少しばかり驚いた。
『3分17秒の遅刻ですね』
『君は相変わらず時間にシビアだなぁ』
男は笑ってジーンズの脚を組んだ。
『今日は珍しい服装をしていますね。好みが変わられましたか?』
『たまにはね。ひとりで出歩く時はあまり街から浮かない服装をしてみようかと思って。こうすれば私もその辺にいる大学生に見えないかい?』
両手を広げておどけて見せる男は、年齢は相澤と同年代の20代前半だ。しかし彼は到底大学生には見えない。
相澤は相手の機嫌を損ねないよう軽く笑っただけに留めた。
『今日はいつもとは毛色の違う物を持ってきたよ』
男はクラッチバッグから取り出した小さな紙袋をテーブルに滑らせた。袋を受け取った相澤は中から薄いオレンジ色の粉末が入った小袋をつまみ上げる。
『これは?』
『中東で流行っている媚薬さ。即効性が強く、どんなに淡白な人間でも使用中は気分が官能的になりエクスタシーを感じやすくなる』
『面白い物を手に入れましたね。つまりは性欲促進剤ですね。“キング”も使用されたのですか?』
相澤はグレーのニットの男をキングと呼んだ。それが彼の名前だ。
キングは答える代わりに片目を細くして微笑んだ。相澤の問いの答えはイエスだ。
『どんなに淡白な人間でもエクスタシーを感じやすくなる……と仰いましたね』
『誰か使いたい女でも?』
『ひとりいます。僕の婚約者の女の子にぜひ使ってみたいですね』
『例の相澤会長お気に入りのお嬢さんだね。どんな女性なのかな?』
相澤の婚約者の話題にキングは興味を示した。
『綺麗で頭の良い子ですよ。見た目だけなら僕がこれまで接してきた女の中で一番と言っていい。ただ女にしては、少々頭が良すぎましてね』
『頭の良い女性は君も嫌いじゃないだろう? 馬鹿よりはいい』
『確かに。会話をしているだけなら頭の良い女性の方が好きですよ。ですが、雌としては馬鹿な女の方が楽しめます。婚約者の彼女は僕に抱かれていても心はいつも別の場所にある。まったく僕に屈しない。だからこれを使ってあの子の綺麗で澄ました顔が本物の快楽に崩れ落ちていく様子を見たいですね』
相澤は小袋を目の高さまで上げて左右に振った。オレンジの粉末がカサカサと音を立てる。
『サディスティックだね』
『僕に屈しない女は面白くない。彼女は高校生にしては冷めているんです。もしかしたら彼女は世の中のすべての男を嘲笑っているのではないかと思う時もありますよ』
この魅惑的なクスリを莉央に使うとどうなるのか、想像するだけで愉快だった。あの綺麗な顔を快楽に歪ませて支配したい衝動に駆られる。
取引を終えて相澤が去った店内でキングはジャズの音色に耳を傾け目を閉じた。
『相澤直輝の婚約者。興味深い存在だ』