性別を隠して警備隊に入ったのがバレたら、女嫌いの総隊長の偽恋人になりました。

強さの理由

 夜会の日まで残り数日。ヒューゴと共に練習を続けたダンスは、ここに来てようやく形になりつつあった。
「今の、うまくできたんじゃないですか?」
「この程度で喜ぶな。だが、見せられないほどではないな」
 ヒューゴは素直に誉めはしないものの、それでもなんとか最低限のラインは越えているらしい。
「さんざん足を踏まれた甲斐があった」
「もう。またそれを言うんですか」
「何度でも言う。盗賊や悪漢と戦うより、はるかに痛い目にあったぞ」
 あまりに何度も踏まれたため、靴を警備隊で使う頑丈なものに変えたくらいだ。
 しかしそうまでして練習しただけあって、クリスももう足を踏むことはなくなっていた。
 相手役を断っていた講師も、ようやく引き受けてくれるようになった。
「それにしても、総隊長があんなにダンスが得意だとは思いませんでした。講師の先生にも負けていないかも」
 これは、決してお世辞などではない。
 ダンスの良し悪しなどまるで知らなかったが、そんなクリスから見ても、ヒューゴの動きはとても洗練されていて美しい。
 ここまで上達できたのも、そんなヒューゴがずっと相手をしてくれていたからだ。
 しかしヒューゴは、それを聞いても誇ることなく、むしろ苦々しそうに顔を歪めた。
「そんな大層なものじゃない。必要だから覚えただけだ。そうでなければ、誰が好んでダンスなどやるものか」
 それは、謙遜だとしてもあまりにも刺があった。
「もしかして、ダンスが嫌いなんですか? あんなに上手なのに?」
「ああ嫌いだ。と言うより、女と踊るのがいやなんだよ」
「あっ……」
 今ごろになって気づく。社交ダンスというと、大抵の場合男女のペアになる。ヒューゴにとっては、苦痛でしかないのだろう。
「それなのに、どうやったらあれだけうまくなれるたんですか?」
「前にお前がやっていたように、一人でひたすら練習して動きを覚えた」
「なっ……」
 さらりと言うが、一人で練習するだけではちっともうまくならなかったクリスからすると、驚くしかない。
 それに、驚くことがもうひとつ。いかに社交の場では必須と言っても、所詮はダンスだ。そんな苦労までして覚えなくてはならないものなのか、クリスには理解できなかった。
「貴族の人って、そこまでダンスが大事なんですか?」
「別にダンスに限った話じゃない。勉学にマナー、あと、うちの場合は武術。覚えなければならないことは山ほどある」
「そんなにたくさん。いくらなんでも無茶ですよ!」
 しかし思い出してみると、ヒューゴは実際に、あらゆる方面で優秀な能力を発揮していた。
 それも、そんな努力を重ねた結果なのかもしれない。
 だがそうまでなると、凄いと思う前に心配になってくる。
 そこまで頑張らなくては、貴族というのは務まらないのか。
「別に、貴族に限った話じゃないぞ。商家に生まれれば算術や経営学を学ばせられるし、農夫の子は幼き頃から土を弄ることも珍しくない。俺は、求められるものが人より多かった。それだけだ」
「それはそうですけど……」
 本当に、そうなのだろうか。淡々と話すヒューゴだが、その表情に、ほんの少し影が差したように見えた気がした。
 しかしクリスがそれ以上何か言う前に、今度はヒューゴが話し出す。
「だいたいそういうことなら、お前の方がおかしいぞ」
「えっ、私ですか?」
 急にそんなこと言われても、何のことだかさっぱりわからない。
「お前の、女とは思えない強さだ。大の男、それも、鍛え上げたうちの隊員の中にいても、何の遜色もない。特に素手で戦うあの武術は、俺から見ても大したものだ。どうしてそんなに強い?」
「なんだ、そんなことですか。そんなの、別に普通の理由ですよ」
「どうだかな。男のふりをして警備隊に入ってくるような奴の普通が、あてになると思うか?」
「そ、それは……」
 それを言われてしまっては反論しにくい。
 だがクリスにとっては、本当に普通の理由だった。
「村に東の国の武術を教える道場があって、兄弟と一緒に通ってたってだけですよ。元々、男兄弟が多い中で育ちましたからね。みんながやってると、自分もマネしたくなるじゃないですか」
 改めて思い返してみても、本当に特別な事情なんて何もない。そうしていくうちに、いつの間にか強くなっていったという感じだ。
「とりあえず、お前の兄弟仲が良いことはわかった」
「別にそんなに良くはないですよ。子供の頃なんて、お菓子の取り合いで技をかけてきたんですから。あっ、それに負けないようにって思って、必死で鍛えたりはしましたね。人のお菓子を横取りしようとする兄を、投げ飛ばしてやりました」
 これもまた、クリスにしてみれば当たり前の思い出。だがそれを聞いたとたん、ヒューゴは目を丸くした。
「お前、あれだけ強くなった理由が、お菓子の取り合いだと!?」
「べ、別に、そのためだけに強くなったわけじゃありませんよ!」
 他にも、試合に勝ったら両親がご馳走を用意してくれると言うから頑張った、なんてこともあった。
 だがそれを言ったら、よけいに何か言われそうだ。
「お菓子。お菓子か……」
「しょ、庶民にとっては、お菓子ひとつも貴重なんです!」
 よほどツボにはまったのか、今まで見たことのないくらいに笑うヒューゴ。
 一応、堪えようとしているみたいだが、それでも吹き出すのを我慢できないでいる。
「俺も、そんな平和な理由で何かに打ち込められたらよかったのにな」
「むぅ。どうせ私は平和ですよ」
 少し前までダンスの成功を喜んでいたというのに、なんだかすっかりおかしな具合になってしまった。
 しかしまあ、せっかくひとつの区切りがついたのだ。
 夜会まであと数日。その前に、たまにはこんな話をして、肩の力を抜くのも悪くないのかもしれない。
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