性別を隠して警備隊に入ったのがバレたら、女嫌いの総隊長の偽恋人になりました。

いざ、アスター本家へ

 カーバニアと言えば、領内で最も栄えた街の一つ。
 そして、ヒューゴの祖父であり領主でもある、ランス=アスターが居を構える地でもあった。
 今日クリスは、そのアスター本家で開かれる夜会に、ヒューゴの恋人として出席する。
「とうとうこの日が来ましたか」
「そうだな。で、お前は何度そのセリフを繰り返すつもりだ。いい加減腹を括れ」
 ナナレンから馬車に揺られカーバニアに到着したのが、数時間前。それから領主館に入り夜会が始まるまでこの部屋で待つようにと言われたのだが、それから今まで、何度この言葉を呟いただろう。
 それも全ては、不安と緊張のせいだ。
「だって仕方ないじゃないですか。そりゃ、みっちり淑女になるための教育は受けてきました。だけどやっぱり不安はあるんですよ。それにこのドレスだって、本当に似合っていますか?」
 今のクリスは、それはそれは美しいドレスに身を包んでいた。
 ドレスなら以前ヒューゴの屋敷に行った際に買ったものもあるのだが、今回はより良いものが必要ということで、ヒューゴがわざわざ仕立て屋を呼んで作らせたのだ。
 クリスのために作られただけあって、その着心地は抜群。と言いたいところだが、今の彼女は緊張でそれを気にする余裕もなかった。
 せめて嘘でもいいので、似合っているの一言が欲しい。しかしそれを求めるには相手が悪かった。
「前にも言っただろ。俺には女の服の良し悪しなどわからんと」
「お世辞でもいいので何か言ってください!」
 ヒューゴがこういう人だというのは知っていたが、こんな時くらい優しい言葉をかけてくれてもいいのではないだろうか。仮とはいえ、これから恋人として人前に出るならなおさらだ。
 だがヒューゴは、ドレスを誉めるかわりにこう言った。
「だいたい、いくら着飾ろうが中身が伴わなければ意味がない。そして中身を磨くための努力は、一ヶ月間精一杯やってきただろ。俺の言葉よりも、自分が今までやってきたことを信じろ」
 やはりそれは、恋人にかけるにしては、あまりにずれた言葉。どちらかと言うと上司が部下に激励を送っているかのようであった。
 しかしクリスにとっては、ドレスを誉められるよりもマシな言葉だったかもしれない。
「そうですよね。あれだけ頑張ったんです。練習通りにやれば、きっと大丈夫なはず」
「ああ、その意気だ」
 これまでの努力の日々を思い出す。苦労した分の成果はあるはずだと、自分に言い聞かせる。
 もっとも、それからヒューゴは、聞こえない程度の小さな声で密かに呟く。
(まああの出来では、うまくいくかは良くて五分五分といったところだがな。今はそれは言うまい)
 ヒューゴもヒューゴで、その不安を抱えていたのだ。
 とはいえ、今更焦ってもどうしようもない。後は覚悟を決めて、時が来るまで待つだけだ。
 そうして、どのくらい待っただろう。部屋の戸をノックされ、先ほど自分達を案内した使用人が顔を出す。
 いよいよ、夜会の準備が整ったようだ。
「行くぞ、クリス」
「はい、ヒューゴ様」
 ヒューゴが声をかけると、クリスはとたんに笑顔を浮かべ、それに応える。
 どれだけ緊張していても、人前では常に笑顔を作る。これも、一ヶ月特訓の成果のひとつだ。
 向かった先は、大広間。
 天井からは豪華なシャンデリアが吊るされ、中央を避けて配置された長テーブルには、見たこともないような料理が並べられている。そして壁際では、この日のために呼ばれた楽団が待機していた。
 まるで、別世界のよう。そこに一歩足を踏み入れたとたん、既にやって来ていた招待客が、一斉にこちらに目を向ける。
 次期当主とその恋人ともなると、皆が注目するのも当然だ。
「心配するな。練習通りにやれば、何の問題もない」
「はい」
 ヒューゴに囁かれクリスは一歩前に出て、皆に向かって軽く一礼し微笑みかける。
 するとそれが合図になったように、何人もの出席者が歩み寄ってきた。
「ヒューゴ殿、聞きましたよ。ついに身を固める決意をしたそうですな。皆、その話で持ちきりですぞ」
「そちらの方が、噂の恋人殿ですな。挨拶をしてもよろしいでしょうか?」
 ヒューゴより下の立場の者らしいが、クリスにとっては、貴族の夜会に出られるという時点で十分に大物だ。
 しかしヒューゴの恋人としてここに来ている以上、圧倒されてはならない。
「はじめまして。クリスティーナ=クロスと申します。以後、お見知りおきを」
 練習していた通りの挨拶をすませると、一歩下がってヒューゴの後ろに立つ。
 こうすることで少しでも会話の機会を減らし、ボロが出るのを防ぐのが目的だ。
 その後も二人の元には何人も挨拶にやって来るが、クリスのすることといえば、ほとんどが簡単なやり取りだけ。
 たまに踏み込んで話をしようとする者もいたのだが、それらは皆、ヒューゴが巧みに話を反らしやり過ごしていた。
 それでいて、クリスがいかに素晴らしい女性であり、自分が彼女を愛しているかを言葉の節々に挟み込んでいるのだから恐れ入る。それ見て、二人が偽りの恋人だと気づく者はまずいないだろう。
 挨拶に来た中には、この前会ったレノンの姿もあったが、面白くなさそうに鼻を鳴らしていた。
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