性別を隠して警備隊に入ったのがバレたら、女嫌いの総隊長の偽恋人になりました。

特訓の成果を見せる時

 夜会が続く中、クリスはある違和感に気づく。
 本来いるはずの人物の姿が、どこにもいないのだ。
 やって来る人が途切れたところで、そっとヒューゴに囁く。
「あの、ヒューゴ様のお爺様の、アスター辺境伯の姿が見えないのですが、挨拶に行かなくて大丈夫でしょうか?」
 この夜会の主催者で、ヒューゴにとっては祖父にあたる、アスター辺境伯。
 本来この館についてすぐにでも挨拶にいかなければならないような相手なのだが、未だその姿すら見ていない。
「祖父は一応は主催者と言うことになっているが、実際に取り仕切っているのは他の親戚達だからな。しかも、最近こういう場にはあまり顔を出さなくなってきている。場合によっては、夜会の後改めて挨拶に行くことになるかもしれん」
「はい、わかりました」
 夜会が終わってもやらなければならないことがあるのは気が滅入るが、今はそれを気にしている場合ではない。
 そう思ったその時、柔らかな音楽が聞こえてきた。待機していた楽団の演奏が、そしてダンスが始まったのだ。
 その途端、既に示し合わせていたであろう何組かが、広間の中央の空間へと集まっていく。
「少ししたら俺達も混ざるぞ。お前という恋人がいるということを、ここにいる全員に知らしめるんだ」
「はい」
 いよいよかと、手に力が入る。
 クリスは最初、こういった社交の場でなぜダンスが重要視されるのかわからなかった。
 しかし元々社交界というのは、貴族同士が新たなコネクションを作る場。そして、自分達がいかに親密であるかを、他の者に伝える場でもある。そこで大きな役割を持つようになったのがダンスだった。
 ダンスを口実に、話しかけるきっかけを作りやすくなる。
 同時に、大勢が見守る中で踊るというのは、二人に繋がりがあるのだと、見ている者に強く知らしめることになるのだ。
 今から行うダンスも、皆にヒューゴの恋人だと伝えるために必要なものだった。
「クリス、手を」
 ヒューゴの手をつかみ、広間の中央に向かって歩き出す。一歩踏み出すことに、これまで感じていた視線が、より一層強くなるのがわかった。
 誰もが、自分達に注目する中、ゆっくりとステップを踏み始める。
(大丈夫。練習通りにやればいいだけだから)
 ここで失敗したら全てが台無しだ。
 緊張が膨らむが、不思議とそれで動きが悪くなるということはなかった。むしろ、体が勝手に動いているようですらある。
 何度も失敗したダンスではあるが、その積み重ねは、しっかりと体に染み付いていた。
 いける。そう思ったとたん、一気に気持ちが軽くなる。今までの頑張りが報われるこの時間が、心地よいとさえ感じた。
 そうして踊り続けてしばらく。曲もいよいよ終盤となり、最後のターンを決める。
 ヒューゴの腕に抱かれると同時に、演奏が終わった。
(私、うまくできましたよね?)
 思わずそう聞きたくなるが、皆の前で声にするわけにはいかない。
 ぐっと飲み込むが、拍手を送る人達に向かって一礼したその時、他の誰にも聞こえないくらいの小さな声でヒューゴが囁いた。
「よくやってくれた」
 思わずヒューゴを見るが、彼は何事もなかったように、素知らぬ顔をしている。多分、もう一度言ってくれと頼んでも、言ってはくれないだろう。
 だがその一度きりの一言が、クリスにはとても心地よく思えた。
 そうして二人は、広間の端の方へと下がっていく。
 夜会そのものはまだ続くが、大きな仕事が終わった。
 そう思ったその時だった。
 一度鳴り止んだはずの拍手が、広間に響く。そしてその送り主である、一人の男が姿を現した。
「素晴らしいダンスを見せてくれてありがとう。ヒューゴ、君の恋人、ぜひ私にも紹介してはくれないか」
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