性別を隠して警備隊に入ったのがバレたら、女嫌いの総隊長の偽恋人になりました。
エピローグ 下
鏡を見たわけではないので正確なところはわからないが、その時のクリスは、よほどマヌケな顔をしていたのだろう。何を言われたのかわからず、思考が停止する。
そして再び頭が回りはじめると、それはそれでまともではいられなくなった。
「婚約って、誰と誰が? 私と総隊長? いやいや、だって婚約なんてしたら、もういよいよ結婚まで考えなきゃならなくなるじゃないですか! 無理無理無理! そりゃ、全く嫌ってわけじゃないですけど……」
ヒューゴとの結婚生活が頭を過る。一瞬、悪くないかもなんて思ってしまうが、すぐにそれを打ち消した。
「だいたい、総隊長はそれでいいんですか? そりゃ、私なら女性に対するおなじみの発作もないでしょうけど、いくらなんでも好きでもない人と結婚なんてできませんよね?」
いや、しかしながら、貴族の結婚なんてのはそんなものなのかもしれない。
かまわんなどと言われて求婚されたらどうしようと、身構えながら答えを待つ。
「ああ、その通りだ。想ってもいない相手に結婚してくれなどと、死んでも言わん」
「で、ですよね」
それを聞いてホッとする。しかしヒューゴは、口ごもりながらとんでもないことを続けた。
「し、しかしだな。想っている相手となら、一緒にいるのも悪くはない。クリス、お前はどうだ?」
「えっ。そりゃ、そういう人となら、私も一緒にいたいと思いますけど……」
「なら、俺はそういう奴にはなり得ないか?」
「…………へっ?」
思考が停止したのは、これで何度目だろう。目の前ではヒューゴが柄にもなく顔を赤く染めながら言っているが、あいにくその意味が理解できていない。いや、一つだけ、今の言葉を聞いてもしかしたらと思うことはあるのだが、どうにも現実感がなさすぎた。
「あの、総隊長。その言い方だと、まるで隊長が私のことを本気で想っているように聞こえるんですけど?」
「だから、そうだと言ってるんだ」
「いやいや。だって、そんなことあるわけが……」
はたしておかしくなっているのは、耳と頭のどちらだろう。たった今聞いたことが、正しく認識できないでいるようだ。
しかし、そんなクリスに苛立ったように、ヒューゴは再び怒鳴るように言う。
「俺は、お前となら本気で恋人になって、婚約して、結婚したいと思っているんだ。まずはそれを正しく理解しろ!」
「…………は、はい!」
告白、求婚というには、なんだかあまりにムードがないような気もするが、これがヒューゴなりの精一杯なのだろう。
どうやら彼も冗談や中途半端な気持ちで言ったわけではないようだ。
「で、でも、いったいどうして私なんですか? 女性の中で、私なら近づいても平気だから好きになったとかじゃないですよね」
そんな理由だというなら、いくらなんでも嫌すぎる。
「違う! その、なんと言うかだな……俺自身、うまく理由は言えない。ただな。お前と偽の恋人として過ごすのは、それなりに楽しかった。夜会で、お前が俺のために怒ってくれた時は嬉しかった。お前が賊に拐われた時は、苦しくなって、いてもたってもいられなくなった。それに、もしお前がいなければ、俺は今も、母親とまともに向き合えていたかわからん」
「えっ。で、でも最後のお母さんとのことは、感謝の念であって好きとは違うんじゃないですか?」
ロイドの逮捕の後、ヒューゴは一度だけ、多忙な合間を縫い、母親の見舞いに行ったそうだ。
今までが今までだけに、すぐに親子の絆が取り戻せるかと言うと、そうではないだろう。それでも、その距離は少しずつ縮まっているように思えた。
クリスとしては嬉しいことだし、自分がそれに全くの無関係だとは思わない。だが、それを理由に好きと言われていいものだろうか。
そんな風に思ったが、それでもヒューゴの意思は変わらなかった。
「お前があの人を説得してくれたのは知っている。誰かのためにそこまで動けるようなやつに惚れて何が悪い。それとも、こんな理由ではダメか?」
「──っ!」
好きになる理由の良し悪しなど、クリスにだってわからない。だが、ここでダメ言う気にはなれなかった。いや、言いたくなかった。
「俺では嫌か?」
「い、嫌ではないです」
答えながら、自分もまた顔を真っ赤に火照らせていることに気づく。ヒューゴが好きだの惚れただの言う度に、心臓が激しく音を立てる。
そんな、完全に平常心を失いつつある中、できるだけ心を静めながら、ここしばらくのことを思い出してみる。
夜会でいらぬ言い掛かりをつけられ責められた時、ヒューゴは断固として庇ってくれた。賊に襲われた時、自分はケガをしているにも拘わらず、最後の最後まで励ましてくれた。そのおかげで、どれだけ心を強く持てたかわからない。
それに、ヒューゴと母親との関係が一歩前進した時は、心から嬉しかった。
そして何より、その後ヒューゴに抱きしめられてから今まで、何度も何度もそのことを思い出しては、一人で大騒ぎしていた。
そんな風に、激しく心を揺さぶられ、湧き上がってくるこの気持ちを、好きと言う…………かもしれない。
「だ、だけど、いくらなんでも急な話しすぎて、すぐには答えを出せそうにないんですが」
「なら、こういうのはどうだ。とりあえず、今まで通り偽の恋人関係を続ける。その中で、本当にそういう関係になりたいと思ったら言ってくれ。俺は、そう思ってくれるよう努力する。そういうのではダメか?」
「それは……」
はたしてそれが、婚約や結婚に至る正しい道であるかはわからない。少なくとも、普通でないのは確かだ。
本当の恋人になれるかなんて、今はまださっぱりわからない。
しかしなぜだろう。不思議と、断るという選択肢はさっぱり浮かばなかった。
「は……はい。よろしくお願いします」
「決まりだな。俺からも、改めてよろしくな。恋人殿」
恋人。そう言われて、トクンと胸が大きく鳴ったような気がした。
後にクリスは、この日を振り返ってこう話す。
この時断らなかった時点で、既に奥底では、ヒューゴに対する想いは決まっていたのかもしれないと。
完
そして再び頭が回りはじめると、それはそれでまともではいられなくなった。
「婚約って、誰と誰が? 私と総隊長? いやいや、だって婚約なんてしたら、もういよいよ結婚まで考えなきゃならなくなるじゃないですか! 無理無理無理! そりゃ、全く嫌ってわけじゃないですけど……」
ヒューゴとの結婚生活が頭を過る。一瞬、悪くないかもなんて思ってしまうが、すぐにそれを打ち消した。
「だいたい、総隊長はそれでいいんですか? そりゃ、私なら女性に対するおなじみの発作もないでしょうけど、いくらなんでも好きでもない人と結婚なんてできませんよね?」
いや、しかしながら、貴族の結婚なんてのはそんなものなのかもしれない。
かまわんなどと言われて求婚されたらどうしようと、身構えながら答えを待つ。
「ああ、その通りだ。想ってもいない相手に結婚してくれなどと、死んでも言わん」
「で、ですよね」
それを聞いてホッとする。しかしヒューゴは、口ごもりながらとんでもないことを続けた。
「し、しかしだな。想っている相手となら、一緒にいるのも悪くはない。クリス、お前はどうだ?」
「えっ。そりゃ、そういう人となら、私も一緒にいたいと思いますけど……」
「なら、俺はそういう奴にはなり得ないか?」
「…………へっ?」
思考が停止したのは、これで何度目だろう。目の前ではヒューゴが柄にもなく顔を赤く染めながら言っているが、あいにくその意味が理解できていない。いや、一つだけ、今の言葉を聞いてもしかしたらと思うことはあるのだが、どうにも現実感がなさすぎた。
「あの、総隊長。その言い方だと、まるで隊長が私のことを本気で想っているように聞こえるんですけど?」
「だから、そうだと言ってるんだ」
「いやいや。だって、そんなことあるわけが……」
はたしておかしくなっているのは、耳と頭のどちらだろう。たった今聞いたことが、正しく認識できないでいるようだ。
しかし、そんなクリスに苛立ったように、ヒューゴは再び怒鳴るように言う。
「俺は、お前となら本気で恋人になって、婚約して、結婚したいと思っているんだ。まずはそれを正しく理解しろ!」
「…………は、はい!」
告白、求婚というには、なんだかあまりにムードがないような気もするが、これがヒューゴなりの精一杯なのだろう。
どうやら彼も冗談や中途半端な気持ちで言ったわけではないようだ。
「で、でも、いったいどうして私なんですか? 女性の中で、私なら近づいても平気だから好きになったとかじゃないですよね」
そんな理由だというなら、いくらなんでも嫌すぎる。
「違う! その、なんと言うかだな……俺自身、うまく理由は言えない。ただな。お前と偽の恋人として過ごすのは、それなりに楽しかった。夜会で、お前が俺のために怒ってくれた時は嬉しかった。お前が賊に拐われた時は、苦しくなって、いてもたってもいられなくなった。それに、もしお前がいなければ、俺は今も、母親とまともに向き合えていたかわからん」
「えっ。で、でも最後のお母さんとのことは、感謝の念であって好きとは違うんじゃないですか?」
ロイドの逮捕の後、ヒューゴは一度だけ、多忙な合間を縫い、母親の見舞いに行ったそうだ。
今までが今までだけに、すぐに親子の絆が取り戻せるかと言うと、そうではないだろう。それでも、その距離は少しずつ縮まっているように思えた。
クリスとしては嬉しいことだし、自分がそれに全くの無関係だとは思わない。だが、それを理由に好きと言われていいものだろうか。
そんな風に思ったが、それでもヒューゴの意思は変わらなかった。
「お前があの人を説得してくれたのは知っている。誰かのためにそこまで動けるようなやつに惚れて何が悪い。それとも、こんな理由ではダメか?」
「──っ!」
好きになる理由の良し悪しなど、クリスにだってわからない。だが、ここでダメ言う気にはなれなかった。いや、言いたくなかった。
「俺では嫌か?」
「い、嫌ではないです」
答えながら、自分もまた顔を真っ赤に火照らせていることに気づく。ヒューゴが好きだの惚れただの言う度に、心臓が激しく音を立てる。
そんな、完全に平常心を失いつつある中、できるだけ心を静めながら、ここしばらくのことを思い出してみる。
夜会でいらぬ言い掛かりをつけられ責められた時、ヒューゴは断固として庇ってくれた。賊に襲われた時、自分はケガをしているにも拘わらず、最後の最後まで励ましてくれた。そのおかげで、どれだけ心を強く持てたかわからない。
それに、ヒューゴと母親との関係が一歩前進した時は、心から嬉しかった。
そして何より、その後ヒューゴに抱きしめられてから今まで、何度も何度もそのことを思い出しては、一人で大騒ぎしていた。
そんな風に、激しく心を揺さぶられ、湧き上がってくるこの気持ちを、好きと言う…………かもしれない。
「だ、だけど、いくらなんでも急な話しすぎて、すぐには答えを出せそうにないんですが」
「なら、こういうのはどうだ。とりあえず、今まで通り偽の恋人関係を続ける。その中で、本当にそういう関係になりたいと思ったら言ってくれ。俺は、そう思ってくれるよう努力する。そういうのではダメか?」
「それは……」
はたしてそれが、婚約や結婚に至る正しい道であるかはわからない。少なくとも、普通でないのは確かだ。
本当の恋人になれるかなんて、今はまださっぱりわからない。
しかしなぜだろう。不思議と、断るという選択肢はさっぱり浮かばなかった。
「は……はい。よろしくお願いします」
「決まりだな。俺からも、改めてよろしくな。恋人殿」
恋人。そう言われて、トクンと胸が大きく鳴ったような気がした。
後にクリスは、この日を振り返ってこう話す。
この時断らなかった時点で、既に奥底では、ヒューゴに対する想いは決まっていたのかもしれないと。
完