愛してはいけないというあなたと
 ようやく涙が引き、艶子はハッとして彼から離れる。
目の前の広渡のシャツはびっしょりと濡れ、狼狽えてしまう。

「あ、あの、濡らしてしまいすみません……」

 泣いてもいいと優しくされたからといって、甘えすぎだ。
最近では、優しさの中で泣いたことはなかった。
この九か月程、叔母と美和から受ける虐めにより涙することは何度もあったけれど。

「大丈夫だよ、辛い思いをしたんだ、少しはスッキリした?」

 艶子は無言でコクリと首を縦にする。

「実はさ、君の状況を調べさせてもらった」

「……え?」

 なぜそのようなことを?
艶子はたまらず眉間に皺を寄せた。
だが広渡は真顔のまま、「今、君はあの家でひどい扱いを受けてるね?」と尋ねる。

「正直に言って大丈夫だから。君が本心を言ったとして、彼らに伝えることはない」

 艶子は少し迷った後、正直に頷いた。
彼が自分の味方なのかわからない。
でも、優しくされたことで気が緩んでいるのは確かだった。
それに叔母らに虐められていることを誰かに知ってほしかった。
どこかでずっと、心で助けを求めていた。

「君は彼らから解放されたい?」

 それは勿論だ。
迷うことなく頷くと、広渡は僅かに口の端を上げた。

「でも、難しいことです。私には何もありません」

 彼らに対抗する力も財力も。

 何度も逃げてしまおうと思った。
どこかで住み込みで働いてもいいかもしれないと。
あの人たちよりマシだろうと、何度も思った。

 でも、あの家から出たら、父や母や姉との繋がりが一切なくなってしまう。
大切な思い出の場所から離れられない自分がいる。
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