君は大人の玩具という。
消化器外科病棟のある8階に着いて、
スタッフステーションで病棟の看護師に
術前訪問に来たことを伝える。
室田花枝は重症患者用の個室ベッドにいた。
ドアを開けてカーテンの前まで来たところで
既に先客がいることに気づいた。
引き返そうとドアノブに手をかけると、
聞き覚えのある名前が聞こえた。
「牧先生、私、本当に感謝しています」
「フフ、まだ何もしていませんよ」
牧の声だ。
患者と話しているところに遭遇したのが
初めてだった京子は、
その穏やかな声に驚いた。
「難しい手術なんですよね、
それなのに見捨てず引き受けてくださって…」
花枝は涙で言葉を詰まらせていた。
京子はいけないと思いつつも
そっとカーテンを開けて中を覗いた。
花枝は予想以上に細く弱っていた。
小柄で、白髪交じりの長い髪が
ところどころ抜け落ちている。
手術前にがんを可能な限り小さくするため
何度も抗がん剤治療をしていた。
体力も随分と落ちているだろうが、
牧の大きな手をぎゅっと握っていた。
牧もそれに応えるように、
ベッド横の椅子に座って
花枝のことをこの上なく優しい眼差しで
見つめていた。
「もうだめだと思っていたから…
先生に出会えて…私、本当に幸せです」
「室田さん…」
牧は嗚咽を繰り返す花枝の背中をさすって言った。
「僕も、室田さんに出会えてよかった。
まだ手術ができる段階で、
ここに来てくれて、本当によかった」
牧の言葉で、花枝は更にワッと涙を流した。
つられて込み上げてくるものを感じたところで
部屋を出ようとすると、
「待って、きょんちゃん」
とカーテン越しの声に引き留められた。