拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
ぐさっ。
心に矢が刺さる音が聞こえるのなら、きっとそんな音がしたに違いない。
美しい顔から放たれる正論にはそれだけの威力がある。
「うん、クリスの言うとおりだよ」
なんだかもう笑うことしかできなかった。彼の言うことは何一つ、間違ってはいない。だから何も言い返せなかった。
はっと、クリスが息を飲む。尖っていた雰囲気が急に成りを潜めて、彼は俯いた。膝の上に乗せた自分の手を、クリスはずっと見ていた。
「新しいドレスが欲しいとかは、思わないの」
「うーん」
欲しいか欲しくないかと問われて、欲しくないと答えたら嘘になる。まったく欲しくないわけではないけれど。
「なんなら、うちで」
「クリス」
その先に続く言葉が分かったから、私はそれを遮った。
「そういうのは、だめだよ」
本の貸し借りはいい。お菓子も多分、いい。花束は……ちょっと分からないけれど。
でも、ドレスは確実にだめだ。これは、線引きの向こうにある。
エステル様には本当にお世話になっている。ライナスがちゃんと貴族学校に入れたのも、クリスのお父様の推薦状があったからだ。
いくら母と仲が良かったからって、これ以上甘えてはいけない。他人に頼っていい領分は、もう随分超えてしまっているから。
「これ以上迷惑かけたくないよ」
私がそう応えると、クリスは俯いたまま動かなくなった。流れた銀髪に覆われていて、どんな顔をしているのかは分からない。
「見せる人もいないしね」
美しく着飾るのはそれを見せたい相手がいるからだ。誰かにきれいだと、思って、言って、ほしいからだろう。
私には、そんな人はいない。
「……例のなんとかっていう侯爵様は」
俯いたまま、掠れた声が言った。
「キット様のこと?」
「そう。そいつは……夜会には来ないのか?」
半分だけ顔を上げて、クリスが言う。長めの前髪の間から睨みつけるような目が覗いている。
「どうなんだろ」
手紙ではそんな話をしたことはなかった。現実に顔を合わせることができないような相手ではないのに、お互いに何となくそういう話題を避けていた節がある。
「聞いてみればいい。なんなら、ドレスの一着や二着や三着、買ってもらえばいいんだ」
「そんなの悪いよ。あと一度に三着は着れないよ」
キット様からすれば、ドレスを仕立てるだなんて造作もないことだろう。ちゃんとした貴族なら懇意にしている仕立て屋ぐらいあるはずだ。
「悪いもんか。中年で悠々自適な独り暮らしで暇つぶしに小娘を誑かして文通してんだろ。むしろそれぐらい出さないと罰が当たる」
いつにも増してひどい言い様である。
この前からずっと、クリスはキット様に対して当たりが強い。知り合いでもないのに、ここまで目の敵にされたらキット様も大変だろうに。
「まだ封筒はあるだろ。次の手紙に夜会とドレスのことを書くんだ」
「はあ」
「いいから」
どうして、私が嬉し恥ずかし綴っている手紙の内容をクリスに決められなければならないのだろう。
仮に書かなかったところで、クリスはそれを知ることはないだろう。
だって私が送った手紙を、彼が読むことなんてないのだから。
「絶対だぞ」
けれど、こちらを見つめてくるこの目があまりにも真剣だったから、私は気圧される様にうんうんと頷いてしまった。
心に矢が刺さる音が聞こえるのなら、きっとそんな音がしたに違いない。
美しい顔から放たれる正論にはそれだけの威力がある。
「うん、クリスの言うとおりだよ」
なんだかもう笑うことしかできなかった。彼の言うことは何一つ、間違ってはいない。だから何も言い返せなかった。
はっと、クリスが息を飲む。尖っていた雰囲気が急に成りを潜めて、彼は俯いた。膝の上に乗せた自分の手を、クリスはずっと見ていた。
「新しいドレスが欲しいとかは、思わないの」
「うーん」
欲しいか欲しくないかと問われて、欲しくないと答えたら嘘になる。まったく欲しくないわけではないけれど。
「なんなら、うちで」
「クリス」
その先に続く言葉が分かったから、私はそれを遮った。
「そういうのは、だめだよ」
本の貸し借りはいい。お菓子も多分、いい。花束は……ちょっと分からないけれど。
でも、ドレスは確実にだめだ。これは、線引きの向こうにある。
エステル様には本当にお世話になっている。ライナスがちゃんと貴族学校に入れたのも、クリスのお父様の推薦状があったからだ。
いくら母と仲が良かったからって、これ以上甘えてはいけない。他人に頼っていい領分は、もう随分超えてしまっているから。
「これ以上迷惑かけたくないよ」
私がそう応えると、クリスは俯いたまま動かなくなった。流れた銀髪に覆われていて、どんな顔をしているのかは分からない。
「見せる人もいないしね」
美しく着飾るのはそれを見せたい相手がいるからだ。誰かにきれいだと、思って、言って、ほしいからだろう。
私には、そんな人はいない。
「……例のなんとかっていう侯爵様は」
俯いたまま、掠れた声が言った。
「キット様のこと?」
「そう。そいつは……夜会には来ないのか?」
半分だけ顔を上げて、クリスが言う。長めの前髪の間から睨みつけるような目が覗いている。
「どうなんだろ」
手紙ではそんな話をしたことはなかった。現実に顔を合わせることができないような相手ではないのに、お互いに何となくそういう話題を避けていた節がある。
「聞いてみればいい。なんなら、ドレスの一着や二着や三着、買ってもらえばいいんだ」
「そんなの悪いよ。あと一度に三着は着れないよ」
キット様からすれば、ドレスを仕立てるだなんて造作もないことだろう。ちゃんとした貴族なら懇意にしている仕立て屋ぐらいあるはずだ。
「悪いもんか。中年で悠々自適な独り暮らしで暇つぶしに小娘を誑かして文通してんだろ。むしろそれぐらい出さないと罰が当たる」
いつにも増してひどい言い様である。
この前からずっと、クリスはキット様に対して当たりが強い。知り合いでもないのに、ここまで目の敵にされたらキット様も大変だろうに。
「まだ封筒はあるだろ。次の手紙に夜会とドレスのことを書くんだ」
「はあ」
「いいから」
どうして、私が嬉し恥ずかし綴っている手紙の内容をクリスに決められなければならないのだろう。
仮に書かなかったところで、クリスはそれを知ることはないだろう。
だって私が送った手紙を、彼が読むことなんてないのだから。
「絶対だぞ」
けれど、こちらを見つめてくるこの目があまりにも真剣だったから、私は気圧される様にうんうんと頷いてしまった。