拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
次の日、言った通りに侯爵家の馬車が迎えに来て、乗り込むと頬杖をついたクリスが座っていた。
隣に座るのはなんだか気が引けて、向かいに腰を下ろす。
動き出した馬車の窓から、ドーレブールの町が、よく見える。それらは滑るように後ろに流れていく。あっという間に、目的の店に着いた。このぐらいの距離なら、別に歩いてもよかったのに。
扉が開けられて、クリスが先に降りた。
「ん」
当然のように差し出された手。こういう時どうすればいいんだっけ。
「え、えっと」
呆然としていたら、くっと手を掴まれた。
「おれも馬車から転がり落ちる人間は見たくないってだけ」
その手に導かれるようにして馬車を降りる。握り返した手は、自分の手よりも大きかった。
重厚な造りの黒い扉をくぐったところで、クリスの手はそっと離れた。
どうしてだろう、そのままずっと繋いでいられればよかったのに、と思った。
奥から店主らしき女性がやってくる。彼女の名前がノワールなのだろうか。
豊かな黒髪で、スタイルがとてもいい。
どんなモデルを雇うよりも、この人自身が身に纏う方がどれだけ服の宣伝になるだろう。そう思うような人だった。
「いらっしゃいませ」
お辞儀をすると、肩口で切りそろえた髪がはらりと揺れる。にこりと、微笑みかけられる。
彼女はそっと私に近寄ってきたかと思うと、耳元で囁く。
「キャロル様ですか?」
ああ、そうだ。キット様は話を通してくれていると手紙に書いてくれていたが、彼は私の本当の名前も知らない。知っているのは“キャロル”という文通名だけだ。
私は頷いて応える。「はい、そうです」
「お話はお伺いしております」
そして、ちらりとその黒い目が隣に立つクリスに向けられた。
「あ、クリス。ありがとね」
送ってもらったのだから、これ以上付き合わせたら悪い。クリスにはクリスで、やることがあるだろうし。
「なに、ここまで来て帰れって言うのか」
そして、店主に向き直ったかと思うと、
「付き添いがいても問題ありませんよね、マダム=ローラン」
どうやらこの店主はローランというらしい。黒というのは彼女の髪の色に合わせた店名なのかもしれなかった。店内も黒を基調としたシックな設えだ。
「ええ、もちろんです、クリストファー様」
「そういうこと」
青い目がきらりと輝いて、クリスが片方だけ口角を上げる。まるでどう化けられるか確かめてやる、とでもいうように。
物語の中では皆、ドレスに着替えれば見違えるような美人になれるものである。
元がたとえボロを纏った召使であったとしても、瞬きするほどの間に彼女達はするりと“姫君”へ羽化する。
けれど残酷なことにここは現実で、私は至って普通の行き遅れだ。今からそれを嫌というほど実感することになるだけだろう。
彼の目に映るのはきっと、いつも通りの地味な私だ。
隣に座るのはなんだか気が引けて、向かいに腰を下ろす。
動き出した馬車の窓から、ドーレブールの町が、よく見える。それらは滑るように後ろに流れていく。あっという間に、目的の店に着いた。このぐらいの距離なら、別に歩いてもよかったのに。
扉が開けられて、クリスが先に降りた。
「ん」
当然のように差し出された手。こういう時どうすればいいんだっけ。
「え、えっと」
呆然としていたら、くっと手を掴まれた。
「おれも馬車から転がり落ちる人間は見たくないってだけ」
その手に導かれるようにして馬車を降りる。握り返した手は、自分の手よりも大きかった。
重厚な造りの黒い扉をくぐったところで、クリスの手はそっと離れた。
どうしてだろう、そのままずっと繋いでいられればよかったのに、と思った。
奥から店主らしき女性がやってくる。彼女の名前がノワールなのだろうか。
豊かな黒髪で、スタイルがとてもいい。
どんなモデルを雇うよりも、この人自身が身に纏う方がどれだけ服の宣伝になるだろう。そう思うような人だった。
「いらっしゃいませ」
お辞儀をすると、肩口で切りそろえた髪がはらりと揺れる。にこりと、微笑みかけられる。
彼女はそっと私に近寄ってきたかと思うと、耳元で囁く。
「キャロル様ですか?」
ああ、そうだ。キット様は話を通してくれていると手紙に書いてくれていたが、彼は私の本当の名前も知らない。知っているのは“キャロル”という文通名だけだ。
私は頷いて応える。「はい、そうです」
「お話はお伺いしております」
そして、ちらりとその黒い目が隣に立つクリスに向けられた。
「あ、クリス。ありがとね」
送ってもらったのだから、これ以上付き合わせたら悪い。クリスにはクリスで、やることがあるだろうし。
「なに、ここまで来て帰れって言うのか」
そして、店主に向き直ったかと思うと、
「付き添いがいても問題ありませんよね、マダム=ローラン」
どうやらこの店主はローランというらしい。黒というのは彼女の髪の色に合わせた店名なのかもしれなかった。店内も黒を基調としたシックな設えだ。
「ええ、もちろんです、クリストファー様」
「そういうこと」
青い目がきらりと輝いて、クリスが片方だけ口角を上げる。まるでどう化けられるか確かめてやる、とでもいうように。
物語の中では皆、ドレスに着替えれば見違えるような美人になれるものである。
元がたとえボロを纏った召使であったとしても、瞬きするほどの間に彼女達はするりと“姫君”へ羽化する。
けれど残酷なことにここは現実で、私は至って普通の行き遅れだ。今からそれを嫌というほど実感することになるだけだろう。
彼の目に映るのはきっと、いつも通りの地味な私だ。