拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
「あれだ、その、何とかっていう侯爵も、そう思うはずだ」
「キット様ね」
「そう、それ」

 刺繍を指先でそっとなぞってみる。ドレスの上で咲き誇る、枯れることのない大輪の花。少なくとも一度、キット様はこの店に来て、このドレスを選んだはずなのだ。

「あの、ローランさん」
 手紙に書かれていた言葉が蘇る。

 ――それにきっと、貴女はとても美しい人だ。

「はい」
「キット様は……どんな方でしたか」
 私がそう尋ねると、なぜだか目の前の長身が狼狽えた。 

「おい、キャロライン!」
 私とローランさんを見比べる様に銀色の頭が右往左往する。

「申し訳ございません。お客様に関することは、わたしからはお話できないことになっております」

 その返答にどこか安心した。これでキット様について深く知ってしまったら、私は少し怖い。

 ちなみに、クリスもほっと胸をなでおろしたようだった。少し恥ずかしそうに髪をかき上げている。

「しかしながら、わたしがどんな方かと思ったかをお話することはできます」
 目が合うと、ローランさんはまたにこりと微笑んだ。

「あの方は、大変時間をかけてドレスを選ばれていましたよ。とても誠実な方なのだとお見受けしました」

 ローランさんの視線の先にあるのは、私が試着した四着のドレス。そして、この手にある、まだ着ていないもう一着のドレス。
 そのどれもを、キット様は時間をかけて選んだのだという。

「一度、着てみてはいかがですか」
「そう、ですね」

 似合わなかったとしても、それが最大限、今の私にできるお返しだと思うから。

 



「素敵な方でございますね」

 ドレスを着付けながら、ローランさんが言った。慣れた手つきで後ろの編み上げを編んでいく。

「はい、とても」

 キット様は、落ち着いた素敵な人だ。自分のことを言われたわけでもないのに、なんだかとても得意げな気分になる。

「文通をしているんですけど、お会いしたことはなくって。だからあんなことを聞いてしまいました」

 背中の向こうで、彼女が笑う気配がした。仕上げとばかりに、きゅっとリボンが結ばれる。私は何かおかしなことを言ってしまっただろうか。

「ええ、そうですね。ですが」

 するりと前に回ったローランさんがドレスの裾を整えてくれる。その黒い目は、カーテンの向こう側に向けられている。
 そこにいるのは、不機嫌そうな幼馴染である。

 私は返事を濁した。素敵でないということはない。むしろその逆だ。

「とても仲がよろしいようで、わたしもなんだか嬉しくなってしまいました」
「ただの幼馴染、ってだけです」

 付き合いは長いけれど、それだけだ。家柄からしても、容姿からしても、私とクリスでは釣り合いが取れないだろう。

「信じられます? 昔はクリスより、私の方が背が高かったんですよ」

 私の言葉に、ローランさんがくすりと微笑む。

「男性の方はそういうことがよくおありですね」
「よく知ってるつもりだったのに、時々彼がなんだか知らない人みたいに見える時があります」

 本屋の前で見た彼の笑顔を思い出す。私が知らない、クリスの一面。これからもっとそんなことが増えていくのだろうか。

「何も、知らないということが悪いということはないと思います」

 真っ赤な唇が美しく弧を描く。袖口のところを少し直して、ローランさんは満足げに頷いた。

「知らなければ、これから知ればいいだけのことですわ」

 ローランさんは大人の女性だ。こういう人なら、キット様ともお似合いだろうかと、頭の片隅で思った。

「さて、おしゃべりはこれぐらいにしましょう。クリストファー様が待ちくたびれてしまいますわ」

 私は結局、鏡の中の自分と一度も向き合えないままだった。
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