拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
夜会の支度というのは、とにかく時間がかかる、ものらしい。
昼過ぎに侯爵家の馬車が迎えに来て、早すぎないかと思ったけれど、そんなことはなかった。終わってみれば、出発時間ぎりぎりだった。
まず、屋敷に着いた時には一列に並んで集合されていた侍女の皆さんに瞬く間に服を脱がされた。気分としては追剥ぎにあったに近い。実際にあったことは、ないけれど。
そして、薔薇の花の浮いたバスタブで、頭の先からつま先までごしごしと洗われた。使われている石鹸もびっくりするほどいい匂いがする。けれどうっとりする間もなく、次は香油を塗られてマッサージをされた。
そこまでしてやっと、ドレスの着付けに入る。
あのピンク色のドレスが、そこにあった。エステル様が仕立て屋に頼んでくれて、侯爵家に届けてもらったのだ。
少しだけ、記憶の中にあるものと目の前のドレスは異なっている。
何というか、フリルや刺繍が豪華になっている。けれど殊更に華美ということはなくて、見比べてみればこれが正解だと思えるような、そんな。
こんな美しいもの、本当に私に似合うのだろうか。
「さあキャロ、こっから先は体力勝負よ。夜会は戦場よ! 最後に物を言うのは体力・気力・根性よ。頑張りましょうね」
「はあ」
私は一体どこへ向かっているのだろう。そんなことを思いながら、二十数年の人生で一番コルセットを締め上げられた。
この支度の一部始終を、部屋の隅の椅子に腰かけたエステル様はにこにこと眺めている。
「では、キャロライン様。こちらに」
金縁の美しい鏡の前に座るように促される。目を閉じるように言われて、顔に化粧水やら乳液やら、そのほか様々なものが塗られた。続いて、刷毛が頬を撫でていく感触がする。おそらく化粧をされているのだろう。
大して特徴もないこげ茶色の髪は丁寧に梳かれて、上半分を束ねられる。毛先はふんわりと巻かれていく。
侍女の手が全て私から離れると、エステル様が立ち上がった気配がした。
「さあ、これで仕上げよ」
ネックレスをそっと首に掛けられる。耳元で、エステル様の声がする。
「ね、目を開けてちょうだい、キャロ」
言われるがままに、私は目を開けた。
「はい」
鏡の中私の首元でしんと輝く、やわらかな銀の光。シルバーとパ―ルのそれは、ドレスの刺繍の花のモチーフと意匠がよく似ていて、まるで合わせて誂えたかのようにしっくりと馴染む。
「あのね、わたしはあなたのことを娘のように思ってきたつもりよ。大事なアリシアの子だし、ううん、それを差し引いても、わたしはキャロのことがすき」
それはずっと、感じていた。母が生きている時からずっと、エステル様は私をとても可愛がってくれていたから。
「だから、キャロは自分の思うようにしていいのよ。今までもこれからも、あなたはなんだってできるはずだわ」
けれど、ただの行き遅れにすぎにない私に一体何ができるだろう。選べるような選択肢は、果たして本当にこの手の中にあるのだろうか。
「うふふ、色々考えるのはキャロのいいところだけれどね。まずはやってみればいいのよ」
鏡の中のエステル様は、また少女のように笑った。
「にしても困ったわね」
エステル様が眉をハの字に下げて頬に手を当てたところで、侍女が声を掛けてくる。
「奥様、クリストファー様がお越しですが」
昼過ぎに侯爵家の馬車が迎えに来て、早すぎないかと思ったけれど、そんなことはなかった。終わってみれば、出発時間ぎりぎりだった。
まず、屋敷に着いた時には一列に並んで集合されていた侍女の皆さんに瞬く間に服を脱がされた。気分としては追剥ぎにあったに近い。実際にあったことは、ないけれど。
そして、薔薇の花の浮いたバスタブで、頭の先からつま先までごしごしと洗われた。使われている石鹸もびっくりするほどいい匂いがする。けれどうっとりする間もなく、次は香油を塗られてマッサージをされた。
そこまでしてやっと、ドレスの着付けに入る。
あのピンク色のドレスが、そこにあった。エステル様が仕立て屋に頼んでくれて、侯爵家に届けてもらったのだ。
少しだけ、記憶の中にあるものと目の前のドレスは異なっている。
何というか、フリルや刺繍が豪華になっている。けれど殊更に華美ということはなくて、見比べてみればこれが正解だと思えるような、そんな。
こんな美しいもの、本当に私に似合うのだろうか。
「さあキャロ、こっから先は体力勝負よ。夜会は戦場よ! 最後に物を言うのは体力・気力・根性よ。頑張りましょうね」
「はあ」
私は一体どこへ向かっているのだろう。そんなことを思いながら、二十数年の人生で一番コルセットを締め上げられた。
この支度の一部始終を、部屋の隅の椅子に腰かけたエステル様はにこにこと眺めている。
「では、キャロライン様。こちらに」
金縁の美しい鏡の前に座るように促される。目を閉じるように言われて、顔に化粧水やら乳液やら、そのほか様々なものが塗られた。続いて、刷毛が頬を撫でていく感触がする。おそらく化粧をされているのだろう。
大して特徴もないこげ茶色の髪は丁寧に梳かれて、上半分を束ねられる。毛先はふんわりと巻かれていく。
侍女の手が全て私から離れると、エステル様が立ち上がった気配がした。
「さあ、これで仕上げよ」
ネックレスをそっと首に掛けられる。耳元で、エステル様の声がする。
「ね、目を開けてちょうだい、キャロ」
言われるがままに、私は目を開けた。
「はい」
鏡の中私の首元でしんと輝く、やわらかな銀の光。シルバーとパ―ルのそれは、ドレスの刺繍の花のモチーフと意匠がよく似ていて、まるで合わせて誂えたかのようにしっくりと馴染む。
「あのね、わたしはあなたのことを娘のように思ってきたつもりよ。大事なアリシアの子だし、ううん、それを差し引いても、わたしはキャロのことがすき」
それはずっと、感じていた。母が生きている時からずっと、エステル様は私をとても可愛がってくれていたから。
「だから、キャロは自分の思うようにしていいのよ。今までもこれからも、あなたはなんだってできるはずだわ」
けれど、ただの行き遅れにすぎにない私に一体何ができるだろう。選べるような選択肢は、果たして本当にこの手の中にあるのだろうか。
「うふふ、色々考えるのはキャロのいいところだけれどね。まずはやってみればいいのよ」
鏡の中のエステル様は、また少女のように笑った。
「にしても困ったわね」
エステル様が眉をハの字に下げて頬に手を当てたところで、侍女が声を掛けてくる。
「奥様、クリストファー様がお越しですが」