拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
 夜会用の踵の高い靴を履いた私に合わせるように、クリスはちゃんとゆっくりと歩いてくれる。絵に描いたようなエスコートだ。

 こんなこと、いつの間に彼はできるようになったんだろう。
 色んな色の目が私を見ている。扇で顔を隠した令嬢が、別の令嬢の耳元で何事かを囁いている。

 正しくは彼女達は輝くクリスを見ていて、そのついでに私が視界に入るだけだ。彼の横の私はただの異分子なのだろう。

「ちゃんと顔を上げて」

 俯き加減になる私に対して、真っ直ぐ前を向いたクリスが言う。

「どんな顔をしていればいいの」
 王宮に向かう馬車に乗っている間もずっと考えていたけれど、“近寄り難い顔”の正解が分からない。

 青い目の端で、彼が私を見遣る。

「普通にしていればいいよ」

 淡々とした声は、いつもと変わらない。

「笑顔でいても仏頂面でいても、同じことだ。どうせ好き勝手に消費されるだけだから」
 クリスの肘に掛けた私の手。その手を少しだけ強く握って、顔を上げた。 

「うん」
 シャンデリアに照らされた首筋にかけての鋭角のラインがきれいだった。

 私がデビュタントだった頃、クリスまだ十二歳だったから、一緒に夜会に出るのははじめてだ。

「分かった」

 こんな風に隣にいることを、夢見なかったわけではない。現実にしては、眩しすぎる夢だけど。
 どうせ夢なのだから、好き放題やってやろう。そう思った。





 最初の緊張から逃れられれば、なんてことはない。

 クリスに用がある人ばかりだと思っていたけれど、皆、私にもにこやかに話しかけてくれる。私はやっと、夜会の華やかな雰囲気そのものを楽しめるようになってきていた。

「クリストファー様」
 王家の侍従がそっとクリスに耳打ちした。整った顔が急に険しくなる。

「どうかしたの」

「王女殿下がおれと踊りたいってさ」

 王女殿下は確か十六歳で、先日デビュタントを迎えたばかりだ。年の頃からいえば、クリスはちょうどいい相手の一人だろう。

「行っておいでよ」
 そもそも断ることができないのなんて、クリスだって分かっているだろうに。

「いい? ここから動くなよ。おれがいない間に誰かに話しかけられても、絶対に返事をするな。分かったね」

 確かに全てを無視していれば、相当に近寄り難いだろうけど。

「すぐ帰ってくるから」
「ゆっくり踊ってくればいいのに」

 私がそう応えると、クリスはなんだか泣きそうな顔をした。けれど何も言わずに、足早に大広間の中心へと向かっていく。

 美し礼をして、王女様とクリスのダンスが始まる。ゆったりと流れるワルツを踊りながら、クリスはびっくりするほど見事に微笑んでいた。やはり私以外の女の子にはちゃんと笑ってくれるらしい。

 もちろんダンスも抜群に巧い。ぴたりと寄り添うようにして、王女様はクリスの腕の中で恍惚の表情を浮かべていた。

 そういえば、この輪の中にキット様もいるのだろうか。彼自身が来るとは手紙の中では名言されてはいなかったけれど、貴族が大勢出席する夜会だ。キット様がいてもなんの不思議はない。

 そうして人波を見渡して、見つけた。見つけてしまった。
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