拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
 さらりとした癖のない黒髪に、ぱっと目を引く引き締まった長身。夜会の為に仕立てたであろう正装がとても似合っている。口元には整えられた立派な髭があった。

 想像した通りの人がいた。

 黒髪が流れて、振り返る。あたたかみのある橄欖色(オリーブグリーン)の目が、私を見つめる。
 そしてこちらへと、歩いてきた。

「どこかで、お会いしたことがありましたか。レディ」

 低くて響きのある声でそう言うと、彼は品の良い笑みを浮かべた。目尻にきゅっと皺が寄る。
 しまった、不躾に見つめてしまっていたことがバレていた。

「い、いえ」

 あんなにクリスに念押しされたのに、うっかり返事をしてしまった。かといってもうここから無視することなんてできない。

「見かけない顔ですね。お名前をお伺いしても?」
 それは、そうだろう。私が夜会に出るのはほとんど五年ぶりだ。スタインズ子爵令嬢の知名度はほとんどない。

「私は、アラン=オースティンと言います」

「オースティン様……」

 すっと一瞬抱き寄せられたようになる。異国のもののような香水がふわりと香った。少し癖のある神秘的な香りだ。どくん、と胸が高鳴る。

「どうそ、アランと」

「アラン様」

 よくできたとばかりに、頭に手が触れる。結い上げた髪が乱れない程度の、ささやかな触れ合い。
 呆けている場合ではない。相手が名乗ったなら、私もちゃんと名乗らなければ。

「キャロライン=スタインズと申します」
「キャロライン……ああ」

 彼は何か納得したように微笑んだ。そして、まるで女王にするかのごとく恭しく私の手を取る。

「キャロル、とお呼びしても?」
 アラン様は屈んだかと思うと、私の手の甲に口づけを落とした。

「なっ」

 よくある儀礼の一つだと分かっている。けれど、かっと頬に血が上ったのが分かる。こんな時、なんて応えればいいのだろう。どうしたら……。

 立ち尽くしていたら、彼が声を立てて笑った。
「ふふふ、なんて可愛らしい人だ」

「すみません、夜会に来るのは久しぶりで」

「ならば、今夜あなたに会えた私は果報者というわけだ」
 アラン様は、垂れ目がちな目を細めてみせる。黄みがかった緑が、宝物を見つけたかのように輝いた。

 そこで私は一つ、気がついた。

 私は自分の容姿について、手紙に記したことはない。
 ありふれた茶色の髪も、母と同じ紫色の瞳についても、何も。それは、キット様も同じ。

 けれど、キット様は私のドレスについてよく知っている。それを頼りにすれば、この大人数の中でも私を見つけることができる、かもしれない。

 もしかして、この人が。

「あなたと出会えたこの奇跡に」

 アラン様は給仕から二つグラスを受け取ったかと思うと、片方を私に差し出してくる。
 注がれたワインが揺れている。促されるがままに、私はそれを手に取った。

「乾杯」
 ガラスとガラスが触れ合う、高い音がする。酒は強い方ではないけれど、一杯ぐらいなら問題はないだろう。

「はい」

 グラスを傾けて、硬質さが唇に触れる。そう思った瞬間、
 
「オースティン卿。世慣れしていない女性を(たぶら)かすのはやめていただきたい」

 不機嫌そうな声がして、私の手からグラスが取り上げられた。
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