拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
「クリス!!」

 私とアラン様の間に立ちはだかるように、大きな背がある。その肩口から見えない怒気のようなものが立ち上るのが見える気がした。

 彼はこんなところにいていいのだろうか。王女様と交流を深めたりしなくてよいのだろうか。

「誰とも話をするなって言っただろう」

 振り返った青い目が私を糾弾する。きっとアラン様のことも同じように睨みつけていたのだろう。

「これはこれは、王女殿下の覚えもめでたいラザフォード侯ではありませんか」

 けれど、アラン様は浮かべた笑みを少しも崩さず、優雅に一礼してみせる。
「彼女は貴殿のご親戚か何かですか?」

「あ、いえ、私は……」
 親戚、というわけではない。狼狽えた私の反応を、アラン様は見逃さなかった。

「では、キャロライン嬢とはどのようなご関係で」

 あえて問いかけられれば、私とクリスの間には何もない。
 親戚でもなければ姉弟でもない。友達というのは少し違う気がする。
 結局のところ、私たちの間には名前が付けられるようなものは何もないのだ。

 クリスはしばらくの間、何も答えなかった。ただ私から奪ったグラスの中で、深みのある赤紫色の水面が揺れるのを見つめていた。

「何もでないなら、私にチャンスをくださってもよいのでは」
 畳みかけるように、アラン様が言う。

 ぐっと、クリスが押し黙る。
 これは、さすがの彼でも分が悪い気がする。アラン様には圧倒的な大人の余裕がある。

「……さあ、一体どんな関係なんでしょうね」
 言うが早いか、クリスは満たされていたワインを一気に飲んだ。

「え、ちょっと、クリス」

 クリスはお酒が強かっただろうか。見たところ、顔色は変わらないようだけれど。私は彼がお酒を飲んでいるところを見たことがなかった。

「おれが聞きたいぐらいですよ」

 そのまま、肩を抱かれた。細身の割に逞しい胸板に寄りかかるようになる。

「オースティン卿。どうやら、彼女は人ごみに酔って気分が悪いようなので」

 そんなことは、なんもないのだけれど。私は至って元気だ。
 けれど、それを言わせないだけの威圧感が今のクリスにはある。

「今夜はこれで失礼させていただきます」
 私の頭上で、クリスとアラン様の視線がぶつかる。

「姫君を守る騎士(ナイト)のご登場とあれば仕方ありませんね。本日は私も、ここまでとさせていただきましょう」

 ちらりと私を見ると、アラン様はにこりと蕩かすような笑みを浮かべた。

「またお会いできる日を楽しみにしています、キャロル」

「それでは、失礼」
 クリスはぞんざいに形ばかりの礼をして返す。そして、彼は私をひょいと抱き上げた。

「ちょっと、クリス!!」

 私を抱いたままクリスはすたすたと歩き始めてしまう。身を捩っても、しなやかなその腕は私を解放してくれない。
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