拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
「……だいたい、あんたみたいに、ぼんやりしているやつは、男に取って食われて終わりだよ」

 取って食われるって、どういうことだろう。
 あんなに威勢よく捲し立てていたのに、急にクリスの口調がおぼつかなくなってくる。覗き込んできた目はとろんとしていた。

 そういえば、私が飲むはずだったワインは、クリスが全部飲んでしまった。
 本当にあのワインに薬か何かが入れられていたとしたら、彼は大丈夫なのだろうか。
 心なしか、目元が赤い気がする。色白だからよく分かる。

「キャロ」

 抱き着くように、クリスの腕が背中に触れる。
 華やかな香水の香りがする。多分、クリスが好んで使うものではない。女物だ。あんなに密着して踊っていたから、きっと王女様のものが移ったのだろう。

 夜会に向けて巻き上げた茶色の髪を、長い指先が弄ぶ。彼は、私の首筋に顔を寄せた。

「はっ、あっ、クリス!?」

 甘えたように、すん、と鼻を鳴らす。
 
「あんたはいつもいい匂いがする」

「えっ、うそ」

 私は香水も何も使ってはいないけれど。それもいつも、ってことは……ああ、もう頭がついていかない。彼は猫のように、機嫌が良さそうに頬ずりをした。

 たじろぐ私に、クリスはにこりと微笑んでみせる。髪を撫でた指先が顎を掬って、青い瞳と見つめ合う。

「クリス……?」
 その目の奥に私の知らない光が宿っている。

 これは、なんだろう。顔に触れる手が、熱い。

「……だ」
 薄い唇が動いて、何事かを囁く。けれど、微かなその声は馬車の騒音に紛れて私の耳まで届かなかった。

「な、な……んっ」
 聞き返した言葉は、最後まで言わせてもらえなかった。

 そっと顔を傾けて、クリスは唇を重ねてきた。

 知らないあたたかさが触れて、一瞬で頭の中が沸騰したようになる。やわらかなそれが繰り返し押し付けられて、ぺろりと、肉厚の舌が私の唇をなぞる。彼が飲み干したワインの味。

 ついばむように何度も食まれて、もう息もできなかった。私まで酔ってしまったかのように眩暈がする。

 硬直する私の体を、クリスはぎゅっと掻き抱く。首筋に悩まし気な吐息がかかる。
 
 どうしてだか分からないけれど、お腹の奥がきゅんと疼いたようになる。
「……ぁ」

 取って食われるとは、こういうことなのか。

 困惑する私の肩に、突然、がくん、と銀色の頭が落ちた。

「へっ?!」

 見ると、クリスは目を閉じてすやすやと寝ていた。

「すー……」

 本当に飲み物に何か薬が混じっていたのかもしれないし、単に彼がお酒に弱いだけなのかもしれない。

 いやでも、これは、ないでしょう。

 私とクリスはただの幼馴染のはずだ。それ以上でも以下でもない。
 それならなぜ、彼は私にこんなことをしたのだろう。
 お酒は人をこんなにも変えてしまうのだろうか。

「もう、ちょっと、いい加減にしてよ……」

 気持ちよさそうに眠っている顔を見る。
 不機嫌そうな表情が抜け落ちてしまえば、昔と変わらない、妖精のようなクリスだ。

 しかしながら、私も彼に聞きたい。

 私達は、一体どんな関係なのか、と。
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