拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
 紺色の生地は光沢に満ちていて、さらりと滑らかだ。それだけで夜会のシャンデリアの下できらきらと輝くだろう。

 首元から背中にかけては、極限まで薄いレース素材に刺繍が施されたものがあしらわれている。まるで素肌に刺繍をされているみたいだ。
 スカートは広がる形ではなくて、すとんと落ちる細身のデザイン。

 髪は、背中のレースがよく見えるようにしっかりとしたアップに編み上げる。
 ドレスと同じ色のショートグローブも含めて全体的にクラシカルだけれど、背中の透け感が大人っぽくてどきどきする。

「いかがですか」

 ローランさんの言葉に顔を上げると、鏡の中に、私が知らない私がいた。その表情を見て、満足げに彼女は頷いた。

 恥を忍んで支度を手伝ってくれる侍女がいないとアラン様に相談したら、彼は『ノワール』の女主人と話をつけたようだった。いきなり屋敷に呼びつけるようなことを、彼はしなかった。

 店を訪ねると、お針子達が着付けを手伝ってくれて、化粧や髪はローランさんがやってくれた。
 前にも思ったけれど、この方は本当にセンスがいい。

 しかしながら、ついこの間クリスと来た店にまさかこんなに早く一人で来ることになるとは思ってもみなかった。

「どうかされましたか」

 窺うように、ローランさんが言う。ああ、こんな顔をしてはいけない。決してローランさんの仕事が気に食わなかったわけではないのだから。

「いえ、本当に素敵にしていただいてありがとうございます」

 何も悪いことはしていないはずなのに、心のどこかに拭い去れない罪悪感のようなものがある。
 クリスは幼馴染で、アラン様はそうではない。それだけのことなのに。

「私は、正しいことをしていると思いますか」

 ローランさんなら何か答えをくれるかもしれない。そう思ったら、口から問いがついて出た。

 彼女は一瞬怪訝そうな顔をしたけれど、すぐにいつもの微笑みに戻ってしばし考えを巡らせた。

「正しさを問うことに意味はないと、わたしは思います」

 ローランさんは私の前に膝をついて目線を合わせるようにした。夜の闇のような瞳が、深い聡明さを宿して見上げてくる。

「正しいことをしていても苦しい時もあれば、間違ったことをして救われることもあります。人は自分の心に嘘をついたままでは生きていけません。それがキャロル様のお心に添うか、添わないか。大切なのはそこではないでしょうか」

 ふと目を向ければ、あの時クリスが腰掛けていたソファが視界の隅に入った。
 クリスはずっと、そこに座わって頬杖をついていた。今夜の夜会に、クリスは来るのだろうか。

 自分の心なのに、私は今、私が何を考えているのかを掴みかねている。

「心が目に見えたらよかったんですけど」
「ええ、本当に。けれど見えたら見えたできっと、また悩むのでしょうね」

 それもそうだ。見えて欲しいこともあるけれど、見たくないものもある。結局どう転んでも、私達は悩むのだろう。

「もっとも、クリストファー様はとても分かりやすい方のような気がいたしますが」
 ぼそりと、小声でローランさんが呟いた。

「クリスが、どうかしましたか?」

 私が問いかけると、彼女は含みのある笑みを浮かべた。

「いいえ、なんでもございませんわ。そろそろオースティン卿がお越しですね」

 最後まで、ローランさんはその言葉の意味を教えてくれなかった。
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