拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
 没落寸前とはいえ、これでも令嬢の片隅にはいる身なので一通りの教養の範囲内としてダンスのレッスンは受けたことがある。
 ただ、実際に夜会で踊ったことはほとんどない。私にダンスを教えてくれたのは家庭教師(カヴァネス)だった。

 それも随分前の話だ。ちゃんと踊れる自信もない。うっかり転んでアラン様に迷惑をかけてしまったらどうしよう。

「それは光栄だな」
 そんな私の心配とは裏腹に、アラン様はひどく嬉しそうに笑った。

「え?」

「こんなに可憐な方と踊る権利が私だけに与えられるとしたら。私はその幸運に感謝しなければならないね」
 そのまま恭しく私の手を取り、意味ありげに片目をつぶってみせる。

 落ち着いた声音とその仕草の軽妙さに胸を奥がきゅっとなる。これがときめきというやつだろうか。
 手を握ったまま、ホールドの姿勢を取る。そのままゆっくりと、ワルツが始まる。

「肩の力を抜いて、キャロル」
「は、はい」

 まるで氷の上にいるかのようになめらかなアラン様の足さばき。かといって、独りよがりということはない。ちゃんと私に合わせて、ぎこちない動きもうまく隠してくれている。彼のリードは完璧だった。

「上手だよ。ちゃんと踊れているから大丈夫」
「ありがとう、ございます」

 ふと、思う。
 私はクリスとダンスを踊ったことはない。一緒に夜会に出たのは先日のがはじめてだった。

 あの夜会で王女と踊るクリスのダンスを、私は遠目から見ているだけだった。

 ほんの少しだけ夢を見てみる。
 クリスはどんな風に、私と踊ってくれるだろう。
 そもそもダンスは一人ではできないものだ。相手がいて初めて成り立つものを、彼は私とともにしてくれるだろうか。

「あっ」

 そんなことばかり考えていたら、足がもつれた。
 こんなに踵の高い靴を履いて出歩くことなんてほとんどない。体勢を崩して地面に吸い込まれるように、体が傾ぐ。
 背中に回った手に、ぐっと力が入る。まるで抱き締められるように、確かな胸板に飛び込んでしまった。

「一曲でいい」

 耳元で、アラン様が囁く。

「この曲の間だけ、私を心に置いていただけますか」

 私にしか聞こえない、微かな声。
 秘密を共有するのは、まさしく親しい間柄だ。なんだか本当に恋人同士のような気がしてくる。これも全て策略のうちなのだろうか。

 私は少しずつ、アラン様に絡めとられている。
 この手を離すことができないように、私は彼から逃れることができない。そんな気がしてくる。

 心が見えなくてよかったと思った。
 だって、見えてしまったらもう否定ができない。

 ゆるやかに流れるワルツが終わるまでの間、私はアラン様の手を取りながら、結局のところずっとクリスのことばかり考えてしまっていたのだから。
< 38 / 70 >

この作品をシェア

pagetop