拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
第八章:湖に映る月
「どうだ、キャロライン。オースティン卿とはうまくいっているかい?」
あまりうまくいっていなかった叔父の事業に対して、アラン様は破格と言える額の資金援助と的確な助言をしてくれている、らしい。
正直私の目から見ても、おおらかでのんびり屋の叔父にはあまり経営の才があるとは言えなかった。人伝てに聞いた話では、叔父はそういうことは兄である私の父に任せっきりだったそうだ。
ずっと暗い顔をしていた叔父が上機嫌なのを見るのは、嬉しい。
「はい、叔父様。来週にはお屋敷に来るようにとお誘いを受けています」
だから、きっとこれでよかったのだろう。
「そうか! ならそろそろ婚約となるかな。そういや、お前にまだ見せられていない身上書があったんだが……どこだったかな」
結局家を出る時まで、叔父はその家の名前を思い出せないままだった。
一人になって、机の前に座る。
アラン様は決して悪い方ではない。けれど、真に婚約するとなれば明らかにしておきたいことがある。
もらいに行ったけれど、使っていない真っ白な封筒。
買い求めたけれど、何も書いていない便箋。
私が返事を出さなかったからなのか、キット様からも手紙は来ていない。
刻まれたAのエンブレムを指先でなぞってみる。
私が夢見た、理想のおじ様。
それは実在しない、言わば湖に映る月のようなものだった。
手を差し入れて水面が揺らめけば、消えてしまう。そんな儚いものだ。
けれど、本当に存在するとしたら。
確かめなければならないのだ。
たとえそれが、どれだけ無粋な行いだとしても。
「うちの庭はどうかな、キャロル」
目の前には、男爵家の庭が広がっている。真ん中に立てば、左右対称なのがよく分かる。よく整えられた美しい庭だ。
「とてもきれいですね」
「気に入ってもらえてよかった」
庭がよく見える四阿に案内された。控えていた侍女が紅茶を淹れてくれる。エステル様がくれる茶葉もいいものだけれど、この紅茶はそれよりも香りがいい。
お茶を飲みながら話したのは、他愛のない世間話ばかりだった。緑の目が、少しだけ、探るように私を見つめてくる。
いきなり不躾に問うようなことを、この方はしない。
「お茶のおかわりはいかがかな?」
代わりにアラン様はそう訊ねてきた。私は首を横に振る。
満たされていたカップが空っぽになると、途端に手持ち無沙汰になった。
アラン様が、すっと立ち上がる。そして、手近な花壇の花に大きな手を伸ばした。
「この薔薇は私が気に入って育てているものでね」
ピンクとオレンジが混ざったような、複雑でやわらかい色の薔薇だ。薄い花びらが幾重にも重なり合うようにして咲いている。
「珍しい色ですね」
「そうだね。比較的新しい品種だから」
アラン様ははさみで薔薇の花を一本切った。そのまま、慣れた手つきで棘を取っていく。
「キャロル」
上質な天鵞絨のような声が私の名をなぞる。
アラン様が私の前に跪く。
そうして差し出されたのは切り取られたばかりの薔薇の花。
ああ、なんて優雅な仕草だろう。まるで観劇の中の世界にいるみたいだ。
「ここをあなたの屋敷にするというのは、どうだろう」
あまりうまくいっていなかった叔父の事業に対して、アラン様は破格と言える額の資金援助と的確な助言をしてくれている、らしい。
正直私の目から見ても、おおらかでのんびり屋の叔父にはあまり経営の才があるとは言えなかった。人伝てに聞いた話では、叔父はそういうことは兄である私の父に任せっきりだったそうだ。
ずっと暗い顔をしていた叔父が上機嫌なのを見るのは、嬉しい。
「はい、叔父様。来週にはお屋敷に来るようにとお誘いを受けています」
だから、きっとこれでよかったのだろう。
「そうか! ならそろそろ婚約となるかな。そういや、お前にまだ見せられていない身上書があったんだが……どこだったかな」
結局家を出る時まで、叔父はその家の名前を思い出せないままだった。
一人になって、机の前に座る。
アラン様は決して悪い方ではない。けれど、真に婚約するとなれば明らかにしておきたいことがある。
もらいに行ったけれど、使っていない真っ白な封筒。
買い求めたけれど、何も書いていない便箋。
私が返事を出さなかったからなのか、キット様からも手紙は来ていない。
刻まれたAのエンブレムを指先でなぞってみる。
私が夢見た、理想のおじ様。
それは実在しない、言わば湖に映る月のようなものだった。
手を差し入れて水面が揺らめけば、消えてしまう。そんな儚いものだ。
けれど、本当に存在するとしたら。
確かめなければならないのだ。
たとえそれが、どれだけ無粋な行いだとしても。
「うちの庭はどうかな、キャロル」
目の前には、男爵家の庭が広がっている。真ん中に立てば、左右対称なのがよく分かる。よく整えられた美しい庭だ。
「とてもきれいですね」
「気に入ってもらえてよかった」
庭がよく見える四阿に案内された。控えていた侍女が紅茶を淹れてくれる。エステル様がくれる茶葉もいいものだけれど、この紅茶はそれよりも香りがいい。
お茶を飲みながら話したのは、他愛のない世間話ばかりだった。緑の目が、少しだけ、探るように私を見つめてくる。
いきなり不躾に問うようなことを、この方はしない。
「お茶のおかわりはいかがかな?」
代わりにアラン様はそう訊ねてきた。私は首を横に振る。
満たされていたカップが空っぽになると、途端に手持ち無沙汰になった。
アラン様が、すっと立ち上がる。そして、手近な花壇の花に大きな手を伸ばした。
「この薔薇は私が気に入って育てているものでね」
ピンクとオレンジが混ざったような、複雑でやわらかい色の薔薇だ。薄い花びらが幾重にも重なり合うようにして咲いている。
「珍しい色ですね」
「そうだね。比較的新しい品種だから」
アラン様ははさみで薔薇の花を一本切った。そのまま、慣れた手つきで棘を取っていく。
「キャロル」
上質な天鵞絨のような声が私の名をなぞる。
アラン様が私の前に跪く。
そうして差し出されたのは切り取られたばかりの薔薇の花。
ああ、なんて優雅な仕草だろう。まるで観劇の中の世界にいるみたいだ。
「ここをあなたの屋敷にするというのは、どうだろう」