拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
投げかけられた言葉の意味が分からないほど、子供ではない。
私は、この今、アラン様から求婚されている。
「返事を急ぐ気はないよ。あなたの心が決まるまで私はいくらでも待つつもりだ」
見上げてくる緑の瞳は澄んでいて、その言葉が嘘のようには思えなかった。
「一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「一つと言わず何個でも」
にこりと音がしそうな笑みで微笑んで、アラン様はそう返す。
「私、ずっと文通をしていたんです」
私は今から、水面に石を投げこむ。
映った月を壊してしまう。
これを知ったらもう、知らなかった私には戻れない。
「ああ、知っているよ」
静かな返答からは動揺は読み取れない。アラン様ぐらいになれば、私が何を問うかぐらい予測できたのかもしれない。
「あなたが、キット様ですか」
形のいい眉がぴくりと動く。僅かにアラン様の顔色が曇る。
けれどそれはほんの一瞬のことだ。すぐに元の顔に戻った。
「そう、私がキットだ」
私が想像した通りの人は、今も眼前で微笑みかけてくれる。
「あなたはとても可愛らしい字を書くね」
伸ばされた手が、一房髪を巻き付けていく。
気障な仕草だと思うのに、アラン様がするととても様になっている。
「そうでしょうか」
「あなたの手紙を読むのが、私の毎日の楽しみだった」
「私もです」
手紙という文字だけの世界で、キット様は寄り添ってくれていた。
実際に会ったことのある誰よりも、彼が私の一番近くにいたとはっきりと言える。
「それでは」
もう一度、私の目の前に薔薇の花が差し出される。
ふわりと漂う、神秘的な香り。いつも香っていたアラン様の香水の匂いと同じだ。この薔薇の香りだったのか。
「はい」
私はその花を手に取った。
丁寧に棘が取られた薔薇は、手を傷つけることはない。ただ私の手の中で美しく、凛と咲いているだけだった。
「書類を持って来させよう。構わないね?」
「はい」
アラン様が侍女の一人に命じる。すぐに一枚の羊皮紙とペンが届けられて、テーブルの上に広げられた。
婚約証明書だ。これに互いの名前を書いて国王陛下に提出し、三ヶ月の婚約期間をおけば私とアラン様は晴れて夫婦の身となる。
アラン様はいつからこれを用意していたのだろう。
先にアラン様が名前を書く。さらさらと、ペンを羊皮紙に走らせる音がする。
「嬉しいな。あなたのような人と一生をともにできるだなんて」
次に私が署名をする番になる。
この時はじめて、私はアラン様の字を見た。
違う。
一目見てそう感じた。
流れるような美しい筆致だった。けれど少しだけ末尾を跳ね上げる書き癖がある。
だって穴が開くほど何度も何度も読み返したのだ。私がキット様の字を見間違えるはずがない。
「キャロル?」
ペンを取ったまま微動だにしない私を見て、アラン様がそっと立ち上がる。そのまま顔を覗き込んでくる。
――明日の貴女が幸せでありますように。
「明日の」
手紙の最後に添えられた言葉。
「アラン様は、明日の私の幸せを願ってくださいますか」
私は、この今、アラン様から求婚されている。
「返事を急ぐ気はないよ。あなたの心が決まるまで私はいくらでも待つつもりだ」
見上げてくる緑の瞳は澄んでいて、その言葉が嘘のようには思えなかった。
「一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「一つと言わず何個でも」
にこりと音がしそうな笑みで微笑んで、アラン様はそう返す。
「私、ずっと文通をしていたんです」
私は今から、水面に石を投げこむ。
映った月を壊してしまう。
これを知ったらもう、知らなかった私には戻れない。
「ああ、知っているよ」
静かな返答からは動揺は読み取れない。アラン様ぐらいになれば、私が何を問うかぐらい予測できたのかもしれない。
「あなたが、キット様ですか」
形のいい眉がぴくりと動く。僅かにアラン様の顔色が曇る。
けれどそれはほんの一瞬のことだ。すぐに元の顔に戻った。
「そう、私がキットだ」
私が想像した通りの人は、今も眼前で微笑みかけてくれる。
「あなたはとても可愛らしい字を書くね」
伸ばされた手が、一房髪を巻き付けていく。
気障な仕草だと思うのに、アラン様がするととても様になっている。
「そうでしょうか」
「あなたの手紙を読むのが、私の毎日の楽しみだった」
「私もです」
手紙という文字だけの世界で、キット様は寄り添ってくれていた。
実際に会ったことのある誰よりも、彼が私の一番近くにいたとはっきりと言える。
「それでは」
もう一度、私の目の前に薔薇の花が差し出される。
ふわりと漂う、神秘的な香り。いつも香っていたアラン様の香水の匂いと同じだ。この薔薇の香りだったのか。
「はい」
私はその花を手に取った。
丁寧に棘が取られた薔薇は、手を傷つけることはない。ただ私の手の中で美しく、凛と咲いているだけだった。
「書類を持って来させよう。構わないね?」
「はい」
アラン様が侍女の一人に命じる。すぐに一枚の羊皮紙とペンが届けられて、テーブルの上に広げられた。
婚約証明書だ。これに互いの名前を書いて国王陛下に提出し、三ヶ月の婚約期間をおけば私とアラン様は晴れて夫婦の身となる。
アラン様はいつからこれを用意していたのだろう。
先にアラン様が名前を書く。さらさらと、ペンを羊皮紙に走らせる音がする。
「嬉しいな。あなたのような人と一生をともにできるだなんて」
次に私が署名をする番になる。
この時はじめて、私はアラン様の字を見た。
違う。
一目見てそう感じた。
流れるような美しい筆致だった。けれど少しだけ末尾を跳ね上げる書き癖がある。
だって穴が開くほど何度も何度も読み返したのだ。私がキット様の字を見間違えるはずがない。
「キャロル?」
ペンを取ったまま微動だにしない私を見て、アラン様がそっと立ち上がる。そのまま顔を覗き込んでくる。
――明日の貴女が幸せでありますように。
「明日の」
手紙の最後に添えられた言葉。
「アラン様は、明日の私の幸せを願ってくださいますか」