拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
唐突な問いかけにも、彼は動じたりしなかった。ぴたりと頬に手が触れる。
「明日のことなんて、今は忘れてしまえばいい」
この手はきっと、望んだ明日を手に入れられる手だろう。それだけの大きさと強さを持った手だ。
「私を見て、キャロル」
深い森のような瞳。その目に映るのは、真摯な愛情だけだった。
「今日のあなたを、必ず幸せにすると誓うよ」
これに身を任せれば、どれだけ幸せになれるだろうと思った。
けれど同時に、決してそうすることはできないのだと悟った。
何も言わずに私はただ彼を見つめ返した。それだけで十分だった。
「私は少し、あなたを侮っていたようだ」
アラン様は一つ息を吐いて、自嘲したように笑った。そして、広げていた羊皮紙をびりっと半分に割いた。
これではもう、この紙は何の意味も成さないだろう。
「嘘を吐いて悪かったね。試したつもりはなかったんだけれど」
私の向かいの椅子に腰を下ろして、アラン様は頬杖をついた。ちらりと、ただの紙切れになった羊皮紙を見遣る。
「いえ、私も嘘を吐きました」
謝らなければいけないのは私の方だ。
「私の話を聞いて頂けますか」
「もちろん」
私はずっと、嘘を吐いていた。
アラン様にも。
そして、私自身にも。
「好きな人が、いたんです」
「うん」
アラン様は取り立てて何か口を挟むことはない。静かに相槌を打ってくれるだけだ。
「小さい頃からそばにいてくれた人で、大切な幼馴染でした」
口にしてみれば、たったそれだけのことだ。けれど、認めるのは随分と勇気がいることだった。
あまりにもそばにいたから、気づくのに時間がかかった。
そして気づいてしまったら、この関係が壊れるのが恐ろしくなった。
だからずっと心の奥に隠していた。まるで一番大切な手紙を、文箱の底に仕舞い込んでしまうみたいに。
「それは、ラザフォード侯のことかな」
温かみのある橄欖色の目。この目は本当に、なんでもお見通しのようだ。
私は頷いた。
「私は、彼と自分は釣り合わないって、ずっと思っていました」
クリスの背が伸びて、私との差が開くほど、そう感じざるを得なかった。彼はちゃんとした侯爵家のご令息で、私は没落寸前だ。
「だから、ほかの人を好きになれば忘れられるかと思ったんです」
誰もが誰も、好きな人と結婚できるわけではない。それくらいの分別はある。
だから、その相手は文通の相手であっても婚約を申し込んでくれた人であっても、誰でもよかった。
クリスでないなら、誰だって同じだと思ったから。
「私は、あなたを利用しました。でも忘れられませんでした」
何を見てもクリスを思い出した。そんなつもりはないのに、彼と比べてしまう。それぐらい私の中でクリスは多くの事柄と結びついていた。そのことを、自覚させられた。
「申し訳、ありませんでした」
心に誰かを置いたまま他の誰かと付き合うことは、きっと不貞に等しい。謝って許されることではないだろう。それぐらいひどいことをした。
「何も謝ることじゃない」
アラン様はそっと手を伸ばしてきて、私の頭をぽんぽんと撫でた。
「あなたがラザフォード侯を好いているのは最初から分かっていたよ」
「明日のことなんて、今は忘れてしまえばいい」
この手はきっと、望んだ明日を手に入れられる手だろう。それだけの大きさと強さを持った手だ。
「私を見て、キャロル」
深い森のような瞳。その目に映るのは、真摯な愛情だけだった。
「今日のあなたを、必ず幸せにすると誓うよ」
これに身を任せれば、どれだけ幸せになれるだろうと思った。
けれど同時に、決してそうすることはできないのだと悟った。
何も言わずに私はただ彼を見つめ返した。それだけで十分だった。
「私は少し、あなたを侮っていたようだ」
アラン様は一つ息を吐いて、自嘲したように笑った。そして、広げていた羊皮紙をびりっと半分に割いた。
これではもう、この紙は何の意味も成さないだろう。
「嘘を吐いて悪かったね。試したつもりはなかったんだけれど」
私の向かいの椅子に腰を下ろして、アラン様は頬杖をついた。ちらりと、ただの紙切れになった羊皮紙を見遣る。
「いえ、私も嘘を吐きました」
謝らなければいけないのは私の方だ。
「私の話を聞いて頂けますか」
「もちろん」
私はずっと、嘘を吐いていた。
アラン様にも。
そして、私自身にも。
「好きな人が、いたんです」
「うん」
アラン様は取り立てて何か口を挟むことはない。静かに相槌を打ってくれるだけだ。
「小さい頃からそばにいてくれた人で、大切な幼馴染でした」
口にしてみれば、たったそれだけのことだ。けれど、認めるのは随分と勇気がいることだった。
あまりにもそばにいたから、気づくのに時間がかかった。
そして気づいてしまったら、この関係が壊れるのが恐ろしくなった。
だからずっと心の奥に隠していた。まるで一番大切な手紙を、文箱の底に仕舞い込んでしまうみたいに。
「それは、ラザフォード侯のことかな」
温かみのある橄欖色の目。この目は本当に、なんでもお見通しのようだ。
私は頷いた。
「私は、彼と自分は釣り合わないって、ずっと思っていました」
クリスの背が伸びて、私との差が開くほど、そう感じざるを得なかった。彼はちゃんとした侯爵家のご令息で、私は没落寸前だ。
「だから、ほかの人を好きになれば忘れられるかと思ったんです」
誰もが誰も、好きな人と結婚できるわけではない。それくらいの分別はある。
だから、その相手は文通の相手であっても婚約を申し込んでくれた人であっても、誰でもよかった。
クリスでないなら、誰だって同じだと思ったから。
「私は、あなたを利用しました。でも忘れられませんでした」
何を見てもクリスを思い出した。そんなつもりはないのに、彼と比べてしまう。それぐらい私の中でクリスは多くの事柄と結びついていた。そのことを、自覚させられた。
「申し訳、ありませんでした」
心に誰かを置いたまま他の誰かと付き合うことは、きっと不貞に等しい。謝って許されることではないだろう。それぐらいひどいことをした。
「何も謝ることじゃない」
アラン様はそっと手を伸ばしてきて、私の頭をぽんぽんと撫でた。
「あなたがラザフォード侯を好いているのは最初から分かっていたよ」