拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
第九章:正体
 書斎の扉をそっと開く。

 そこに置いてある大きな机。私は父がここに座っているのを見るのが大好きだった。

 机の下から椅子を出して隠れる様にして座る。小さい頃はここがまるで秘密基地のようで、お気に入りの場所だった。

 今はもう随分と窮屈になってしまった。膝を抱えてぎゅっと身を縮める。その分だけ私が大きくなったということなのだろう。

 両親の葬儀の後も、私はここにいた。

 馬車の事故による突然の死だった。
 ちょっとした視察のつもりで、元々は私も一緒に行く予定だった。けれど、直前でライナスの風邪がうつってしまって、二人で留守番となってしまった。

『大丈夫。すぐに帰ってくるからね』
 そう言ったのに、父も母も永遠に帰って来なかった。熱に浮かされた頭を撫でる母の手の感触が、私の記憶に残る最後だ。

『可哀想に。上の子はこないだデビュタントを迎えばかりで、弟はまだあんなに小さいのに』

 叔父が取り仕切る葬儀の間、私は少しも泣けなかった。
 何が起こったのか分からないライナスの手を握りしめて、弔問に訪れる人の前で立ち尽くすことしかできなかった。

 全部が終わって屋敷に帰った後、私は書斎を訪れた。

 そこは、両親が生きていた頃と何も変わらなかった。読みかけの本も書き終わった書類もそのままで、まるで帰りを待っているかのようだった。

 ばかみたいだ。もう二人とも、この家に帰ってくることはないのに。

 ぽつりと、涙が流れてきた。

 やっと身に沁みたのだ。やさしかった両親はもういなくて、私は可哀想と称されるような境遇に陥って、それでも生きていかなければいけないということが。

 泣いているところなんて、誰にも見られたくなかった。だから机の下に入り込んだ。これ以上誰にも何も言われたくなかった。心配されるのも、同情されるのも嫌だったから。

 書斎の扉が開いたのは、その時だ。ぱたぱたと軽い足音がする。見つからないように私は息を潜めた。

 けれど、この青い目は特別なのだ。
 薄暗い部屋の中で、その目だけがきらきらと輝いていた。

『こんなところにいたの』

 絶対に見つかりたくなかったのに、クリスはすぐに私を見つけてしまった。同じように、机の下に隣り合うようにして座る。

『母上が探していたよ』

 エステル様も当然葬儀には出席してくれた。母と過ごした時間は、私よりもエステル様の方が長い。ひどく憔悴した様子だった。

『ないてるの』
『ないてないもん』

 年下の幼馴染の前で、私はひどく“お姉さん”を演じていた節があった。
 なんでも知っているフリをして、強引に手を引いて、振り回していた。
 惨めな私を、クリスには見られたくなかった。誤魔化すように、必死でごしごしと手の甲で涙を拭った。

『そんなふうにしちゃ、だめだよ』

 子供の手が私の頬に伸びてくる。その指は、そっと涙を拭ってくれた。
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