拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
 けれど、私だけが悪いということはないと思う。

「だって、クリスがあんなきれいな字を書けるだなんて思ってなかったから」

 あのサインとは似ても似つかない字だったと言えば、「ああいうのは読めないように書くのがいんだよ」とクリスは笑った。そういうものなのだろうか。

「おれはなにも嘘は書いてない。あんたが勝手に妄想を繰り広げて、素敵なおじ様だとか盛り上がっていただけ」

 そう、思えば手紙の内容に嘘は何一つなかったのだ。
 絵を描くのが好きで、湖の近くの別荘を持っている、高位貴族の男性。

 クリスはその全てにきちんと当てはまる。

「あんなに分かりやすく便箋まで買ったのにさ、全っ然気づかないんだから。本当、どうしようかと思ったよ」

 けれどどうしてこんな、もったいぶったことをしたのだろう。

「なんで、教えてくれなかったの?」

 文通がしたいのなら、そう言ってくれればよかったのに。

「あんたはおれのこと、弟みたいなものとしか見てなかっただろ」

 ぶっきらぼうに吐き捨てるように、クリスは言った。

「いつまで経っても、あんたにとっておれは、ライナスの延長みたいなもので。それがずっと嫌だった」

 いつも淀みなく言葉を紡ぐ彼には珍しく、ぽつりぽつりと、こぼれ落ちる様に話した。時折照れ隠しのように、ブーツの爪先が床を叩く。

「だから、年下だとか幼馴染だとか、今までの関係性を全部取っ払って、ただのおれとしてあんたと関われたら。そしたら、何か変えられるかなって、そう思ったんだ」

 それが、キット様が生まれた理由。

 思えば、手紙の中の彼はとても素直だった。思いのままを真っ直ぐに伝えてくれた。

「まあでも、おれも気付かなかったからおあいこだな」

 ぱさりと何かを広げる音がする。

「『親愛なるクリストファー様。寮生活には慣れましたか? 私は変わりなく過ごしています。庭の芍薬の花が咲いて、とてもきれいです』」

 打って変わって朗々とした声が、何かを読み上げ始める。
 なんだ、これは。

「えっ、ちょっとそれ何!?」 

 慌てて机の下から出ようとしたら、(したた)か頭をぶつけた。

 やはりいい年をしてこんなところに潜り込むべきではなかった。
「いったあ」

「大丈夫? これ以上ぼんやりするようになったら日常生活に支障があると思うけど」

 誰のせいでこんなことになったと思っているのか。当の本人はいけしゃあしゃあとそんなことを言う。

 クリスは薄桃色の便箋を手に、長い足を持て余すようにして机にもたれかかっていた。
 じんじん痛む頭を押さえて覗き込めば、見慣れた自分の字が便箋の上で躍っていた。

 けれど、今より大分字が幼い。

「『お休みに帰ってくる時にはぜひ教えてくださいね。早くあなたに会いたいです』」
 クリスが持っていたのは、一通だけではない。

 色とりどりの封筒と何通もの便箋が、彼の手の中にあった。
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