拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
「これは……」
「おれが寮にいる間に、あんたが書いていた手紙」

 おぼろげながら記憶はある。
 書き始めたのはいいけれど、どうしようもなく恥ずかしくなってしまったのだ。あんなに気安く話していた幼馴染相手に、改まって手紙を書くことに。

「これ、どこで見つけたの?」

 結局途中まで書いたはいいが、出さなかったことは覚えている。せっかく選んだ便箋がもったいなくて、捨てられなかったことも。

「借りた本の函に入っていた。九巻目に」

「あっ」
 クリスが寮にいたあの頃、ちょうど読んでいたのは九巻だ。そうか、そんなところにあったのか。

「その、見せてくれる?」

 何も言わずに、クリスはすっと便箋を差し出してきた。
 そこに、十六歳の私がいた。

『庭のお花、あなたが描いたらきっと素敵だと思います』
『寒くなってきましたね。風邪をひいたりしていませんか』
『昨日の満月がとてもきれいでした。あなたのところからも見えたでしょうか』

 手紙と呼ぶにはつたなすぎる。ほとんど日記のような、他愛のない内容だ。こんな手紙、もらったってクリスもきっと困ったに違いない。

「おれは、あんたが本当にオースティン卿が好きなら、もうしょうがないって思ってた。どう考えても勝ち目もないしな」

 切れ長の目元がふっとやわらかくなる。もたれかかっている分だけ、今はクリスの方が目線が低い。小さい頃のように、青い瞳が私を見上げてくる。

「でも、これを読んで気が変わった」

 水色の便箋をひらりと振って、クリスは笑った。

 ああ、そうだ。
 あんなに傷つけてしまったのに、彼はまた私に会いに来てくれた。そのきっかけがこの手紙だったのか。

 出せなかった手紙が、あの頃の私が、クリスをここまで連れてきてくれた。

「『何でもない時に誰かの顔が浮かんでくるのは、その人が大事な人だから』なんだろ?」

 花を見ても、月を見ても、何を見ても思い出してしまうほどに。

「キャロライン」

 大きな手がこちらに伸びてくる。

「教えてよ、本当はおれのこと、どう思ってるのか」

 長い指が、輪郭をなぞるようにそっと頬を撫でる。たったそれだけの仕草がひどく色っぽい。

「クリス、その」

 これを言ってしまえば、もう、最後だ。その目と向き合うのが怖い。

「往生際が悪い。動かぬ証拠がここにあるのに、まだはぐらかすの」

 私はずっと、クリスのことを想っていた。この手紙はその証にほかならない。
 けれど、彼はきっと誰かほかのご令嬢と結婚するはずなのだ。私なんかでは、この人と釣り合わないはずなのに。
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