拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
「だって、婚約」
「ちゃんと申し込んだよ。スタインズ家の叔父さん宛てに」

「えっ!」

 そういえば、「見せていない身上書がある」と叔父は言っていた。それがまさか、クリスだったのか。

「おれはずっと、成人したらあんたに結婚を申し込むって決めてたんだ」
「う、うそ……」

「ばかも休み休み言ってくれる? こんな大事なところで嘘つくわけないだろ」
 それも、そうだ。

「あーもう、またこうなったじゃないか」

 私がはっとすると、目に見えてクリスが狼狽えた。いらだちを誤魔化すように、わしゃわしゃと髪を掻き上げる。

「ちゃんと言うから。あんたも、ちゃんと聞いて」

 覚悟を決める様にその手をぐっと握る。

「う、うん」

 いつも涼やかに見える青い目が、熱を孕んでいるのが分かる。
 その目に射抜かれたようになる。自分の心臓の音がうるさくて、息の吸い方まで分からなくなってしまいそう。

「ずっと早く大人になりたかった。あんたの前を歩かなきゃ、あんたの視界には入れないから。けど不思議だよな。おれの背が伸びた分だけ、あんたはこっちを見てくれなくなった。だからすごくいらいらした」

 クリスはもう、自分の心を隠そうとしなかった。
 ただ溢れるままにぶつけてくる。その真摯な声が、微かに震える手が、語られる全てが真実だと教えてくれる。

「ちゃんとあんたより大きくなったら、堂々と隣にいられると思ったのに」

 クリスがすっと横を向く。ずっと近くで見ていた、彼の横顔。
 私がよく知った男の子は、ちゃんと格好いい男の人になっていった。

 でも私自身はちっともぱっとしなくて。その分だけ、私はどうしたらいいのか分からなくなった。

「ずっと、あんただけ見てきたよ」

 駄目押しのようなその一言に、本気で息が止まりそうになる。
「へっ」

「だから、おれがいいって言って、キャロ」

 クリスが真っ直ぐに私を見つめる。あの日と同じ。その目の中心に私だけが映っていた。

「そしたら、おれの全部、あんたにあげる」

 けれど、変わったこともある。頬に触れるその手に、私は自分の手を重ねる。その手はもう、子供のものではない。

「手、大きくなったね」
 クリスがぐっと眉をしかめる。睨みつける様に、その目が険しくなる。

「なんで泣くの」
「うれし、かったから」

 ずっとこんな日が来ればいいなと夢見ていた。でもそういうものは私に与えられるものではないと、心のどこかで諦めていた。
 だけどちゃんとあったのだ。

「私も、ずっとすき」
 私達はずっとお互いのことを想いながら、ただすれ違っていただけなのかもしれない。

「クリスのことが、すきだよ」

 どのみち無理だったのだ。クリスじゃない、他の誰かを好きになるなんて。
 この心はずっと、彼でいっぱいだったのだから。違う人なんて入る余地は、どこにもなかった。

「大きくなったよ」

 するりと指先が目尻を拭っていく。
 もう片方の手も、この頬に触れる。その大きな手に包まれてしまったようになる。

 すっと立ち上がったクリスが私を見下ろす。

「あんたを幸せにしたくて、おれは大人になったんだ」

 とろりと視線が絡み合う。今度はもう、拒む理由はどこにもない。

「好きだ、キャロ」

 この心を全て攫っていくような囁き。ふわりと吐息が頬を掠める。

 ずっとこの時を待ち望んでいたのだと、私は幸せなキスの予感に目を閉じた。
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