拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
 十一歳で貴族学校の入学を許可されると、キャロラインと会う機会は少なくなった。

『これね、お守りだよ』
 僕が寮へと向かう時、キャロラインはイニシャルの入ったハンカチを作ってくれた。

 ほがらかな性格の割に――こんなことを言ったら頬を膨らませそうだけれど――彼女は刺繍が上手かった。意外にも精緻で整った意匠を刺すのだ。

 貴族学校の入学年齢は一般的には十二歳である。一年早く入学した僕は、周りと比べて明らかに小柄だった。

『なんだよ、これ』
 入学早々に持っていたハンカチを見咎められて、問い質された。

『どうせ母親が作ったんだろう?』
 貴婦人の嗜みとして僕の母もハンカチに刺繍をしてくれてはいる。

『母上が作ったのはこっち』
『これは、お前の母上は芸術家だな』

 訊ねた同級生はすっかり面食らってしまったようだった。うちの母の刺繍はなかなかに前衛的である。父が気に入っているからいいけど。

『きっと、姉貴かなんかだろ』
『僕は一人っ子だよ』
『本当に、女の子にもらったのか』

 僕は否定をしなかった。こういうのは曖昧にしておいた方が効果的だと分かっていたからだ。

『へぇ……』

 お守りの力は絶大だった。

 ただのクラス一のチビという評価がその瞬間に、ひっくり返った。『こいつにはハンカチに刺繍をしてくれるような女がいるやつ』になったのだ。一応、嘘ではない。

 それからは、成績がよかったこともあって、僕は貴族学校で快適に生活することができるようになった。

『ねえ、そのハンカチくれた人、クリストファーより年上の人?』
 同室の彼だけが、探るように聞いてきた。

『そうだけど』
『いくつ?』
『十五。もう少ししたら十六になるけど』

 はしゃいでいた他のやつらと違って、そいつだけはなんだか不可解な目で僕を見た。
『じゃあ大変だね。もうすぐデビュタントじゃないか』

 言われた言葉の意味が分からなかった。呆気にとられる僕に彼は丁寧に説明してくれた。

『貴族の女の人は、十六歳になると社交界にデビューするんだ。そしたらすぐに旦那様を見つけて、結婚しちゃうんだよ』

 社交界。デビュー。旦那様。結婚。
 一つ一つの言葉の意味は分かるのに、繋がったそれを、頭が理解するのを拒否した。

『大体みんな、年上の男と結婚するんだよ』
『キャロが、結婚する……?』

『クリストファーもすぐ相手にしてもらえなくなるよ。ぼくらみたいなお子様はお呼びじゃないってことさ』
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