拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
 キャロラインの両親が亡くなったのはそのすぐ後だった。

 葬儀の時の彼女は見ていられなかった。
 涙を流すこともなく、ライナスの隣で気丈に顔を上げていた。状況を飲み込めない弟と違って、彼女のそれは痛々しいほどだった。

 葬儀の後、スタインズの屋敷で僕はキャロラインを探した。辺りを見回しても姿は見当たらない。
 机の下に隠れるようにして、彼女は泣いていた。

 いつも明るいキャロラインのそんな顔を見たのははじめてだった。

『ずっと今日のままでいられたらいいのに』

 そう言って、キャロラインは抱き着いてきた。震える背中に触れれば、いやでも伝わってくる。
 両親を亡くした彼女の悲しみも不安も。四つ年上とはいえ、キャロラインも子供だった。
 どうしようもない現実の前に、僕らは等しく無力だった。

『怖いのなら、僕が幸せな明日を祈るよ』

 僕は、同じように小さな手を握ってそう言うことしかできなかった。 

 ああ、やっぱり僕は大人にならなければならない。
 大人になれば、彼女の手を引いて、守ることができる。

 キャロラインがもう泣かないで済むように、安心して、明日を望むことができるように。
 僕は一刻も早く、大人の男になりたかった。

 けれど年齢というのは非情だ。

 人は皆、一年にひとつ年を取る。裏を返せば、ひとつしか年を取ることができない。

 僕が進んだ分だけ、キャロラインも進む。学校は飛び級で入ることができたが、どれだけ願っても、四つの年の差は埋まらない。これはもう、どうしようもないことだった。

 仕方がないので僕はまず、身長が伸びることを祈った。

 物の本によると、「バランスのよい栄養をとり、充分な睡眠時間を確保すること」とあった。だから、寮の食堂で出される大して美味しくもない食事を毎回完食した。好き嫌いの多い僕にとってなかなかの苦行ではあったけれど、背に腹は代えられなかった。

 そして、夜な夜な賭けポーカーやチェスに興じる同級生を尻目に、僕は清く正しくベッドに潜り込んだ。

 その甲斐あって、これは叶った。無事、キャロラインの身長を追い越すことに成功したのだ。
 惚れた女より背が低いなんて目も当てられない。僕はほっと胸をなでおろした。

『すっごい背が伸びたね』

 きらきらと輝く紫色の目が、見上げてきた時の感動といえばもう、言葉にならない。身長差を測るように少し背伸びをして、白い手が僕の頭の上に伸びてくる。

『これぐらいどうってことないだろ、キャロライン』

 ついでに僕は、キャロラインのことを“キャロ”と愛称で呼ぶのをやめた。

 なんだか変に馴れ馴れしくて、子供っぽい響きに聞こえたからだ。ちゃんと名前を呼ぶ方がいくらか大人っぽく見える、そんな気がした。

 彼女の踵がすとんと地面につく。不思議なものでも見るように、キャロラインは二回瞬きした。

『クリス……』

 今にも髪に触れると思った手が、すっと下ろされた。

『なに』

『ううん、なんでもないんだ』
 肩を落とした彼女は妙に明るい声で続けた。

『ほんと、見違えたよ。これからもっと背が伸びていっちゃうのかな』

 そのつもりだった。僕の予定ではあと十センチは伸びて、キャロラインを軽々と抱き上げられるような長身になる、はずだ。

『そしたらもう』

 続く言葉をキャロラインは飲み込んで、笑った。その笑顔がやけに悲しそうに見えたのは、僕の気のせいだったのだろうか。
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