拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
 それから何度か、手紙のやり取りをした。

 キット様の手紙はいつもとても丁寧だ。日常の地に足のついた事柄が真摯に綴られている。博識な人なのだと思う。

 趣味は絵を描くことなのだと、二回目の手紙で教えてもらった。

 かの領地には大きな湖があるらしい。夏場は避暑地としても名高いそこで、絵を描いたりしながらゆっくりと過ごすことが多いそうだ。行ってみたいなとは一瞬思ったけれど、それは手紙には書けなかった。

 対して、私はどうだろう。

 見栄を張りたい気持ちが、全くなかったわけではない。けれど、顔も知らない相手だからこそ、逆に素直になれた。きっと会うこともないだろうと思えば、正直に自分の現状を書くことができた。

 “キャロル”は、貴族とは名ばかりの地味な暮らしをしているごく普通の地味な行き遅れだ。趣味は本を読むこと――と言えば聞こえはいいけれど、ただ単に娯楽に割くお金がないだけだ。人並みにお芝居にお茶会にと興じてみたい気持ちは、ないことはない。

 書斎には父と母が残してくれた本が沢山あるから、時間がある時はそれを読んで過ごしている。

 そう書くと、その次の手紙には栞が同封されていた。色とりどりの花束の絵が描かれていて、繊細なレースのリボンが結ばれている。とても素敵だと返事に書いたら、時々便箋の隅に小さなスケッチが添えられるようになった。

 けれど最近は本より、キット様の手紙を読み返していることが多い。

 手紙を開く度に、ふわりとあの香りが立ち上る。洗練された香りだと思う。キット様は、こんな香りを纏うような、私よりずっと年上の大人の男性なのだ。

 どんな人だろうかと何度も想像した。それは雲のようにふわふわとぼんやりとしているのに、確かに私の心を占めている。

 髪はそう、さらりとした癖のない黒髪で。若い頃から鍛えた引き締まった長身に、貴族の盛装がとても似合うはずだ。

 口元には整えられた立派な髭があって、笑うときゅっと目尻に皺が寄る。瞳の色はあたたかみのある橄欖色(オリーブグリーン)がいい。

『キャロル』

 きっと低くて響きのある声をしている。お腹の底を攫っていくような中低音(バリトン)に名前を呼ばれたら、どれだけ心が躍るだろう。

「なに、それ」

 楽しい夢を終わらせたのは、ざらりとした青年の声だった。
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