拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
夜会でオースティン卿と連れ立って歩くキャロラインを見た。
紺色のドレスは星の欠片でも散りばめたように眩く美しい。
人々の視線を一身に集めて、彼女ははにかんだように笑っていた。
少し憂いを帯びたその様を、視界の端に留め置くようにこっそりと盗み見た。
直視してしまったらもう、焼き付けられたように剝がせないから。
僕が夢にも思わなかったドレスの意匠だった。いっそ潔いほどのシンプルさだが、貧相には見えないのは圧倒的に質のいいものを使っているからだ。それが洗練された装いとなって、キャロラインの良さを最大限引き出している。
自分が選んだものに後悔があるわけではない。あのピンクのドレスはキャロラインによく似合っていた。
けれど、飾り立てるしか能がなかった己の未熟さをまざまざと見せつけられた気がした。場数を踏んだオースティン卿には遠く及ぶわけもない。
何もする気が起きなかった。魂が抜けたようにぼんやりと過ごす僕に対して母は何か言いたげだったけれど、いつものようにずけずけとぶつけてくることはなかった。それほど哀れに見えたのかもしれない。
「ん? なんだこれ……」
九巻の外函から似つかわしくない薄黄色の紙が覗いていた。
この本は全体的にシックな装丁だから、そこだけまるで光っているかのように見える。
取り出してみれば、それは便箋だった。
この本はキャロラインから借りたものだから、これを書いたのもおそらく彼女ということになる。
誰かが誰かに当てた手紙だなんて、盗み見るものじゃない。そう分かっているのに、開いてしまった。
そして飛び込んできた文字に思わず息を飲んだ。
『親愛なるクリストファー様』
他ならぬ僕の名前だった。
けれど、少し違和感がある。キャロラインの字には違いないのだが、ところどころぎこちないところがあった。
文箱に保管してある手紙を開く。これはキット宛てのものだ。隣に並べると、クリストファー宛てのものは明らかに幼い。
罪悪感が全くないわけではない。けれど、これは僕に宛てたものだから、僕が読んでも許されるだろう。
『昨日、十六歳になりました。次の夜会ではデビュタントを務めることになります。正直ちょっと怖いです。クリスと一緒に行ければよかったのに、と思いました』
次の便箋を開く。
『もらった絵を部屋に飾っています。また湖に行きたいです』
十六歳の彼女の素直な心の内が訥々と綴られていた。どこを見ても、僕のことばかり書かれていた。まるであの鈴が鳴るような声で読み上げられているような気がした。
沢山の言葉が、光の雨のように、僕の下に振りそそぐ。
「なん、だよ……」
読めばすぐに分かった。キャロラインが僕のことをどんな風に思っていたのか。
『クリスはすごく背が伸びましたね。どんどんかっこよくなっていって、私のことなんて置いて行ってしまうんでしょうか。いつか私なんかよりもっと可愛い恋人ができるのかもしれません』
「そんなことあるわけないだろ。ばかじゃないのか」
口にしてから気づく。
ああ、これはキャロラインが飲み込んだ石だ。
『こんなことばかり考えても何にもならないのに』
この世界でここにしかいない、僕より年下のキャロライン。
どうして気づいてやれなかったんだろう。
「ばかなのは、おれの方か」
どうしようもできなくなって、髪を掴んで項垂れた。
運命は選ぶものだとアリシア様は言った。それは多分、正しい。
けれど、それは選べる環境にある時だ。
親を失って、なんの後ろ盾もなくなったキャロラインはずっと自分を抑えてきた。
色んなものを諦めて、手放して、それでも彼女は笑っていた。
誰にも見せなかった、あいつが水底に沈めた石。
隠れて机の下で泣いている彼女。
「何にもならないだなんて、そんなことがあってたまるか」
キャロラインを、迎えに行かなければならない。
オースティン卿にも、キットにもそれはできない。これはきっと、僕にしかできないことだ。
あんたが飲み込んだ石を僕が真珠に変えてみせる。
閉じた窓をもう一度、開けてみせるから。
紺色のドレスは星の欠片でも散りばめたように眩く美しい。
人々の視線を一身に集めて、彼女ははにかんだように笑っていた。
少し憂いを帯びたその様を、視界の端に留め置くようにこっそりと盗み見た。
直視してしまったらもう、焼き付けられたように剝がせないから。
僕が夢にも思わなかったドレスの意匠だった。いっそ潔いほどのシンプルさだが、貧相には見えないのは圧倒的に質のいいものを使っているからだ。それが洗練された装いとなって、キャロラインの良さを最大限引き出している。
自分が選んだものに後悔があるわけではない。あのピンクのドレスはキャロラインによく似合っていた。
けれど、飾り立てるしか能がなかった己の未熟さをまざまざと見せつけられた気がした。場数を踏んだオースティン卿には遠く及ぶわけもない。
何もする気が起きなかった。魂が抜けたようにぼんやりと過ごす僕に対して母は何か言いたげだったけれど、いつものようにずけずけとぶつけてくることはなかった。それほど哀れに見えたのかもしれない。
「ん? なんだこれ……」
九巻の外函から似つかわしくない薄黄色の紙が覗いていた。
この本は全体的にシックな装丁だから、そこだけまるで光っているかのように見える。
取り出してみれば、それは便箋だった。
この本はキャロラインから借りたものだから、これを書いたのもおそらく彼女ということになる。
誰かが誰かに当てた手紙だなんて、盗み見るものじゃない。そう分かっているのに、開いてしまった。
そして飛び込んできた文字に思わず息を飲んだ。
『親愛なるクリストファー様』
他ならぬ僕の名前だった。
けれど、少し違和感がある。キャロラインの字には違いないのだが、ところどころぎこちないところがあった。
文箱に保管してある手紙を開く。これはキット宛てのものだ。隣に並べると、クリストファー宛てのものは明らかに幼い。
罪悪感が全くないわけではない。けれど、これは僕に宛てたものだから、僕が読んでも許されるだろう。
『昨日、十六歳になりました。次の夜会ではデビュタントを務めることになります。正直ちょっと怖いです。クリスと一緒に行ければよかったのに、と思いました』
次の便箋を開く。
『もらった絵を部屋に飾っています。また湖に行きたいです』
十六歳の彼女の素直な心の内が訥々と綴られていた。どこを見ても、僕のことばかり書かれていた。まるであの鈴が鳴るような声で読み上げられているような気がした。
沢山の言葉が、光の雨のように、僕の下に振りそそぐ。
「なん、だよ……」
読めばすぐに分かった。キャロラインが僕のことをどんな風に思っていたのか。
『クリスはすごく背が伸びましたね。どんどんかっこよくなっていって、私のことなんて置いて行ってしまうんでしょうか。いつか私なんかよりもっと可愛い恋人ができるのかもしれません』
「そんなことあるわけないだろ。ばかじゃないのか」
口にしてから気づく。
ああ、これはキャロラインが飲み込んだ石だ。
『こんなことばかり考えても何にもならないのに』
この世界でここにしかいない、僕より年下のキャロライン。
どうして気づいてやれなかったんだろう。
「ばかなのは、おれの方か」
どうしようもできなくなって、髪を掴んで項垂れた。
運命は選ぶものだとアリシア様は言った。それは多分、正しい。
けれど、それは選べる環境にある時だ。
親を失って、なんの後ろ盾もなくなったキャロラインはずっと自分を抑えてきた。
色んなものを諦めて、手放して、それでも彼女は笑っていた。
誰にも見せなかった、あいつが水底に沈めた石。
隠れて机の下で泣いている彼女。
「何にもならないだなんて、そんなことがあってたまるか」
キャロラインを、迎えに行かなければならない。
オースティン卿にも、キットにもそれはできない。これはきっと、僕にしかできないことだ。
あんたが飲み込んだ石を僕が真珠に変えてみせる。
閉じた窓をもう一度、開けてみせるから。