拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
 いつの間にか、向かいの椅子にクリスが座っている。そこだけまるで絵画のように、世界がきらめいている。

「全部聞こえてるけど」
 けれど晴れた日の空のような青い目は、今やごみくずでもみるように眇められて、私を捉えていた。

「い、いつの間にいたの、クリス!!!」
「ずっと年上の、さらっとした黒髪の背の高い人がいい、の辺りから」

 なんということでしょう。心の声が全部口から出ていたとは。
 到底人には話せるはずもない妄想を、よりにもよってこの幼馴染の前で垂れ流しにしてしまった。

「これはね、クリス。つまり、その」
「つまり文通相手に相当入れ込んでるんだ、へえ」

 頬杖をついてぎろりとこちらを見遣る。ぐっと、眉間のところが険しくなるのは機嫌の悪い時のクリスの癖だ。

「入れ込んでるというか、なんというか」
「あんたさ、それで相手がチビで禿げで腹の出た中年親父だったらどうするの?」

「それは……」
 一ミリも考えなかったと言えば、嘘になるけれど。

「手紙なんて何とでも書けるだろ。その容姿なら結婚してない方がおかしいし、なんなら本当に貴族かどうかも怪しいな」

 少しウェーブのかかった銀髪を掻き上げて、クリスは言う。

「あの字はきっと、貴族の字よ。そう、多分爵位は侯爵だわ!」

「そこまで言い切る根拠は。まさか見た感じでなんとなくとか言わないよな?」

 鋭い反論にぐぬぬ、と私は押し黙る。あんなに大人しかったのに、いつの間にこんなに口が立つようになったんだろう。最近私はクリスに口喧嘩で勝てたことがない。

「それは、あれだ、女の勘ってやつだよ!!」
 苦し紛れにそう言ったら、怜悧な相貌が曇った。

「はあ、本気で言ってんの? ばかじゃないのか」

「そりゃあ、クリスには女の勘は分からないよね! 女の子じゃないし」

 珍しく何も言い返してこない。これ幸いとばかりに畳みかけてみる。

「とにかく、キット様は素敵なおじ様なの! 絶対に、そうだよ」
 澄んだきれいな目が、さざ波のように揺れる。そのまま、彼はぷいっと顔を背けた。

「……なんだよ、人の気も知らないで」

 ひどく翳のある声だった。整った顔がふいに、迷子の少年のように見えてくる。
 どうしてそんなに悲しそうにするのだろう。
 彼はすっと椅子から立ちあがった。

「どんなに好きだと思ったって理想通りの相手じゃなかったら、あんただってきっと幻滅するんだろう」

 突き刺さるような青い目が、ひどく高いところから私を見下ろしてくる。白い頬は陶器のようになめらかで、髭の一つも見当たらない。

「クリス?」

 それ以上、クリスは何も言ってはくれなくて。そのまま、彼は部屋を出て行った。

 そういえば、何しに来たのかを聞いていなかったことに私はその時やっと気が付いた。エステル様の付き添いでもないのに、クリスはなぜうちにやって来たのだろう。
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