両片想いの恋の味。
第一話 毎週水曜日、午後三時を楽しみに待つカフェ店員。
私には、毎週水曜日の午後三時に楽しみにしていることがある。


私が働いているのは商店街に入ってすぐ、少し分かりづらい路地を曲がったところにあるカフェだ。
手作り感漂う店内は置いてある本やインテリアが独特だけれどお洒落で、席の配置はマスターのこだわりで違う席に座ったお客さん同士、目が合わないように配慮されている。
地元の常連さんに愛される、ほのぼのとした雰囲気のカフェは今日もコーヒーの香りに包まれていた。

今日は水曜日。時計の針は午後三時を知らせている。
もうそろそろ、きっと――彼がこの店にやってくる。少しだけそわそわ落ち着きなく、私は彼がいつも座る席のテーブルを布巾で拭いていた。
カラリと乾いた音を立てるドアベルの音に期待を込めて振り向けば、待ち望んだ彼が入店したところだった。

「いらっしゃいませ」

声をかけた私と目を合わせて、爽やかにはにかんでくれた彼は人差し指を立てて「一人です」と来店人数を教えてくれる。私は大きく頷いて、「おひとりさまですね。お好きな席へどうぞ」と彼に判断をゆだねた。でも、彼が座る席はわかっている。店内に入って奥に進んだ、カウンター席の近くの二人掛けのテーブル席だ。彼がこの席をよく利用することを知っている私は、彼が来る時間になる前に丁寧に丁寧にテーブルを拭いている。
彼が席についてメニューを手に取って目を通している様子を横目に窺い、顔を上げて私に向け手を挙げたのを確認してすぐ注文を聞きに行く。彼がいつも頼むのはブレンドコーヒーとケーキだ。今日は何のケーキを頼むんだろう。

「コーヒーと、ミルクレープをお願いします」
「コーヒーと、ミルクレープですね。少々お待ちください」

伝票に注文を書き込み、カウンターの向こうで調理を担当しているマスターの元に伝えに行けばニマニマとした表情で待っていた。ニマニマしている顔なのに美人だから様になっていてずるい。
店内にはお客さんが三グループ。
今は忙しくないので、カウンター席のテーブルセッティングをしているふりをして、いつもの席に座っている彼を盗み見た。
窓の外から差し込む光が彼のブラウンの瞳を輝かせて、黒い髪もつやつやして見える。女の人が羨みそうなくらい白い肌は綺麗だし、手足も長くて、モデルさんみたいに格好良い。
そんな彼は、今日も黒いブックカバーをつけた文庫本を取り出す。
同じく鞄から取り出した眼鏡ケースの蓋を開け、細身の黒縁眼鏡を目元に掛けた。私は彼が本を読むときの、この眼鏡を掛ける仕草が好きだった。眼鏡を片手で装着するときの仕草が色っぽい。目を細めて、睫毛を伏せて。モダン部分を耳に掛けたあと、ブリッジを中指で押し上げて鼻にのせる。この一連の動作が、まるで絵画のように美しい。
マスターに名前を呼ばれてハッとするのもいつものことで少し慌てながらコーヒーとミルクレープののったお皿をおぼんにのせる。
ふう、と気持ちと心臓を落ち着けて、いつものスマイルで彼の元に歩み寄った。

「お待たせしました」

彼は視線を向けていた文庫本から顔を上げ、私と目を合わせて微笑んでくれる。
この瞬間が、私の水曜日の一番のピークだ。何のピークかって、どきどきの、だ。

「ありがとう」
「いえ。ごゆっくりしてくださいね」

とまあ、平静を装って笑顔で答えているんだけど脳内の私は大絶叫している。今日も格好良い。素敵だ。優しい声だ。きらきらしている。眩しい。そんな語彙力の無い感想が駆け巡って、ぺこりと頭を下げてから業務に戻る。
来店されるお客さんの対応をして、隙間を見つけて、コーヒーとケーキをお供に読書している彼を盗み見て。
お会計をされるお客さんの対応をして見送ったあと、テーブルを片付けて、一息ついては読書している彼を見て。
そうして彼が来店してから約一時間後。彼が店を出る頃になる。
伝票を持って席を立つ彼に気づいて私も作業の手を止め、対応するためにレジに入れば、もうお別れの時間かと寂しい気持ちになってしまう。
お会計金額を伝え、お支払いを受け取り、お釣りとレシートをお渡しすれば「ごちそうさまでした。おいしかったです」と眩しくて焼け焦げてしまいそうな微笑みを向けられてしまった。

「ありがとうございました」

会釈をしてからドアをくぐった彼の背中を見送って、私は勢いよく両手で顔を覆う。
息を詰めて「ぐぅ、ぅっ」と唸っていると、いつも三時間くらい滞在するカフェの常連の治郎吉おじいさんが「まーたやってらァ、甘ずっぺーなー」なんて呆れたように声をかけてきた。
彼の尊さに、ぐっと泣きそうになるのをこらえたあと、彼が座っていたテーブル席の片付けに向かう。彼はいつも全くテーブルを汚さず綺麗に食事をしてくれるから後片付けも、とっても楽だ。

「声掛けりゃあいいのに」
「いつもこそこそ見てるだけだもんねぇ」
「恋愛初心者か? この治郎吉じいさんが恋愛の極意ってやつを教えてやろうか?」
「治郎吉さんのは当てにならないんじゃないかしら」

マスターも治郎吉おじいさんも好き放題言ってくれているが、言い返したくても何も言い返せない。
彼が毎週水曜日の午後三時に、このお店に来てくれるようになって約三か月が経った今、未だに私は彼の名前も、職業も、どこに住んでいるかも知らない。私の一方通行の憧れと、淡い恋心だけがくすぶっている。
だって、そんな、いきなり話しかけたら絶対におかしい。まず何を話せばいいのかわからない。話しかけたら迷惑かもしれないとか考えてしまう。ただコーヒーとケーキを楽しみながら、静かに読書をしに来ているのに邪魔をしたくないし。
彼が来てくれる水曜日はとても楽しみで嬉しくて幸せな日だけど、彼がお店を出たあとはいつも少ししょんぼりしてしまう日でもあった。
テーブルの上のお皿をおぼんにのせてキッチンに下げ、布巾を持って戻ったときに椅子の上に小さな布が置いてあった。つやつやした手触りの深いブルーの色をしたこれは、きっと眼鏡拭きだ。

「あ、忘れ物……?」

先程までこの席に座っていたのは彼だ。彼は眼鏡を持っているし、眼鏡ケースの中に入れていた眼鏡拭きを忘れて行ってしまったのかもしれない。
追いかけようかと思ったけれど彼が店を出てからしばらく経っている。きっと店の外に出てももう追いつけないだろう。と、なると……これを渡せるのは来週の水曜日ということになる。
私が預かっていてもいいだろうか。あわよくば、この忘れ物をきっかけにいつも以上のお話ができるかもしれない。
ふー、と深く息を吐き出して、大切に大切に、エプロンのポケットの中に眼鏡拭きをしまい込む。
もうすでに、今から心臓がどきどきしている。
来週。来週の水曜日。頭の中でその単語を繰り返し、緊張と大きな期待に胸を膨らませた私は気合を入れて決意を固める。
彼のお名前を聞くんだ。そこから少しだけでも、世間話をするんだ。
彼はなんていうお名前なんだろう。色んな妄想が膨らんで、来週がとっても楽しみになった。
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