早河シリーズ第四幕【紫陽花】
突然の見知らぬ男の登場に驚いた杏里は手にしていた小瓶とリップブラシを床に落とした。瓶が落ちて転がる音が甲高く響く。
『どうして速水杏里さんが本庄玲夏さんの控え室にいるんですか? 部屋を間違えたわけではないですよね?』
「あ、あなたこそ誰よ! 見ない顔だけど、関係者じゃないわよね? 無断でメイクルームに入るなんて……玲夏のストーカー?」
『ストーカーではありません。それに無断でもありませんよ。私は本庄玲夏さんに雇われた探偵です』
早河は足元に転がってきた小瓶を拾い上げ、目の高さまで掲げて中身を眺めた。瓶には無色透明の液体が入っている。
「たん……てい?」
『本庄さんは何者かに命を狙われていましてね。彼女が仕事をしている間、控え室は無人。何かを仕掛けるには絶好の機会ですからこうして見張っていたんです。あなたが口紅に塗っていたこの瓶の中身は何ですか?』
「多分……毒……だと思う」
杏里が早河から視線をそらした。その場に崩れ落ちた彼女は手で顔を覆って泣き始める。
『この瓶の中身を知らないまま、口紅に塗ったんですか?』
「知らないわよ! 私はそれを渡されて……玲夏の口紅に塗れって言われただけ……。そうしないと私は……私の人生終わっちゃうの!」
泣きわめく女は早河が最も苦手な人種だ。本来ならここで警察に突き出すところだが、まだ早河にはやることがある。
『本庄さんの事務所に嫌がらせをしていたのはあなたですね?』
「……そうよ」
『では、この手紙を本庄さんに送ったのもあなたですか?』
彼は小瓶をスーツのポケットに入れ、最終確認のために取り出した例の手紙を杏里に見せた。〈殺しにいく〉と書かれた内容の手紙を見ても杏里の反応は薄い。
「何? 脅迫状? 玲夏、こんなもの貰ってたの?」
『見覚えありませんか?』
「ないわよ! こんなの玲夏に送るわけないでしょ! 別に死んで欲しいなんて思ってないんだから。私がやったのは……玲夏の事務所にゴミばらまいたり、ファックス送ったり……小学生のイジメみたいなことはやらされたけど手紙を送れとは言われてない!」
杏里の口から決定的な言葉を引き出せた。早河は泣いている杏里の背中をさすり、ハンカチを渡す。
杏里は早河のハンカチを受け取って目元を押さえた。彼女は早河に気を許し始めている。
『“やらされた”と言いましたね。誰かの指示で嫌がらせ行為をさせられていたんですね?』
「あなた……探偵なのよね?」
『一応は』
「お願い助けて! 私、脅されてるの……」
女優に涙目で見つめられれば大抵の男は理性を失うだろうと、早河は妙に冷静な気持ちで杏里を見下ろした。
杏里が清原監督との不倫をネタに津田に脅されているなら、ネタの証拠を津田から回収すれば不倫の過去が表に出ることはない。交換条件を持ちかければ、杏里は必ずこちらになびく。
『本庄さんに嫌がらせするよう命じた人間と、あなたがしたことをすべて話していただけるのなら、私は出来る限りあなたの力になります』
「……わかった。全部……話すわ」
『どうして速水杏里さんが本庄玲夏さんの控え室にいるんですか? 部屋を間違えたわけではないですよね?』
「あ、あなたこそ誰よ! 見ない顔だけど、関係者じゃないわよね? 無断でメイクルームに入るなんて……玲夏のストーカー?」
『ストーカーではありません。それに無断でもありませんよ。私は本庄玲夏さんに雇われた探偵です』
早河は足元に転がってきた小瓶を拾い上げ、目の高さまで掲げて中身を眺めた。瓶には無色透明の液体が入っている。
「たん……てい?」
『本庄さんは何者かに命を狙われていましてね。彼女が仕事をしている間、控え室は無人。何かを仕掛けるには絶好の機会ですからこうして見張っていたんです。あなたが口紅に塗っていたこの瓶の中身は何ですか?』
「多分……毒……だと思う」
杏里が早河から視線をそらした。その場に崩れ落ちた彼女は手で顔を覆って泣き始める。
『この瓶の中身を知らないまま、口紅に塗ったんですか?』
「知らないわよ! 私はそれを渡されて……玲夏の口紅に塗れって言われただけ……。そうしないと私は……私の人生終わっちゃうの!」
泣きわめく女は早河が最も苦手な人種だ。本来ならここで警察に突き出すところだが、まだ早河にはやることがある。
『本庄さんの事務所に嫌がらせをしていたのはあなたですね?』
「……そうよ」
『では、この手紙を本庄さんに送ったのもあなたですか?』
彼は小瓶をスーツのポケットに入れ、最終確認のために取り出した例の手紙を杏里に見せた。〈殺しにいく〉と書かれた内容の手紙を見ても杏里の反応は薄い。
「何? 脅迫状? 玲夏、こんなもの貰ってたの?」
『見覚えありませんか?』
「ないわよ! こんなの玲夏に送るわけないでしょ! 別に死んで欲しいなんて思ってないんだから。私がやったのは……玲夏の事務所にゴミばらまいたり、ファックス送ったり……小学生のイジメみたいなことはやらされたけど手紙を送れとは言われてない!」
杏里の口から決定的な言葉を引き出せた。早河は泣いている杏里の背中をさすり、ハンカチを渡す。
杏里は早河のハンカチを受け取って目元を押さえた。彼女は早河に気を許し始めている。
『“やらされた”と言いましたね。誰かの指示で嫌がらせ行為をさせられていたんですね?』
「あなた……探偵なのよね?」
『一応は』
「お願い助けて! 私、脅されてるの……」
女優に涙目で見つめられれば大抵の男は理性を失うだろうと、早河は妙に冷静な気持ちで杏里を見下ろした。
杏里が清原監督との不倫をネタに津田に脅されているなら、ネタの証拠を津田から回収すれば不倫の過去が表に出ることはない。交換条件を持ちかければ、杏里は必ずこちらになびく。
『本庄さんに嫌がらせするよう命じた人間と、あなたがしたことをすべて話していただけるのなら、私は出来る限りあなたの力になります』
「……わかった。全部……話すわ」