早河シリーズ第四幕【紫陽花】
   ──東京──

 煌びやかな蝶が闇に舞う、夜の銀座。この辺りではナンバーワンの高級クラブ〈メルシー〉の重厚な扉を早河は開けた。

早河を出迎えたのはメルシーのママのサユリ。この街の女帝として有名な女性だ。寛雅《かんが》な紫色の着物が彼女によく似合っていた。

「早河さん。お久しぶりですね」
『ママは今日も綺麗だね。はい、これ』

早河は手土産の袋を彼女に渡す。丁重に袋を受け取ったサユリは口元に手を当ててはにかんだ。

「いつもありがとうございます。これはパティスリーKIKUCHIのレモンパイじゃないですか。ここのレモンパイはいつも行列で並ばないと買えないとか」
『並ぶのも待つのも俺の得意分野。みんなで食べてよ』
「お心遣いありがとうございます。戴きますね」

 彼女は早河の手土産をウェイターに渡し、彼を店の奥に案内する。ソファーに落ち着いた早河が煙草を出す。サユリは宝石付きのライターで早河の煙草に火をつけた。

『ミレイ、いる?』
「はい。呼んできますね」

品よく会釈してサユリが下がる。その姿はまさしく夜の街に美しく舞う蝶だ。

 サユリが下がってから数分後に赤いロングドレスを纏った女が現れた。

「ご指名ありがとうございます。ミレイです」

ミレイはピンク色のルージュをひいた口元でにっこり微笑んだ。彼女は早河の隣に腰を降ろす。

『元気だったか?』
「早河さんが最近全然お店に来てくれなかったから元気じゃなかったよ。でも今は早河さんに会えて元気百倍」
『単純だな』
「女は好きな人の顔が見れたらそれだけで幸せになるの。何にします?」
『水割り』

早河の注文を受けてミレイは慣れた手つきでグラスに氷を入れる。

『女優の仕事は最近どうだ?』
「もうね、さっぱり。最近はモデルの仕事ばかりだよ。早河さん、何かいい仕事ない?」
『エキストラだけどセリフのある仕事ならいくつかある。紹介してやってもいいが、代わりにミレイに聞きたいことがある』
「なぁに?」

 ミレイはウィスキーを注いでグラスの中をマドラーでかき混ぜた。この店でホステスとして働くミレイには女優になる夢があり、細々と芸能活動をしている。

『津田弘道って記者知ってるよな? 前にお前と仕事をしたことがある奴だ』
「ツダ、ヒロミチ……ああ、うん。思い出した。その人なら雑誌の撮影で一緒になったことがある。記者だけどカメラマンもやってたの」

ミレイが早河の前に水割りのグラスを置いた。早河はミレイが作った水割りを一口飲む。
どこで飲む酒よりもメルシーで飲む酒が格別に旨いと感じる。

『津田って男はミレイから見てどんな印象だった?』
「うーん……グラビアの撮影だったんだけど、その津田って人が私や他の子達にエッチなポーズさせようとしてきて、私は途中で仕事断って帰って来ちゃったの。粘っこい視線の嫌な感じの人。思い出しても鳥肌立っちゃう」

 ミレイは大げさに身震いした。ミレイのように女優を目指して地道に活動しているタレントには水着のグラビア撮影は避けては通れない。
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