早河シリーズ第四幕【紫陽花】
 なぎさの顔が浮かんで居心地の悪い気がするのは何故だろうと、しかし今は深く考えるのは止めた。

 なぎさが神戸で慣れない潜入調査をしている最中に、自分は高級クラブで酒を飲んで店の女とキスをしているのだから、おそらくは“そういう意味”での罪悪感だろう。

これも仕事に必要なことであって、決して遊んでいるわけではないのだが……。

「ママは早河さんが来ると、いつもこの席に通してくれるでしょう? この席はお店の一番奥で仕切りもついてるから他の席からは見えないのよ。秘密のお話をするVIP専用席なんだよ。だからいいの」

 ミレイの頬は少し赤く染まっている。耳まで赤く見えるのは照明の加減のせいかもしれない。

『俺の唇がボトルより価値があるとは思えねぇけど』
「わかってないなぁ。私には価値があるの。言っておくけど私、早河さんに補導されたあの日からずっと早河さんに片想いしてるのよ? 私の青春は全部早河さんに捧げたの! わかってるくせに」
『俺みたいなろくでもない男を好きになっても苦労するだけだ』

早河がくわえた煙草にミレイがライターで火を灯す。

「女はろくでもない男に惹かれるものよ。清らかな白馬の王子様よりも、ちょっとスレてて妖しい雰囲気の元刑事の探偵さんの方が私は好みなの」

 ミレイは早河の二杯目の水割りを作っている。
ミレイとのキスは客には見られていなくても、店の随所に設置された監視カメラの映像を通してママのサユリには見られてるかもしれないと思うと、早河は頭を抱えた。

「早河仁って、なぁんか疾走感ある名前だよね」
『そうか?』

 唐突に話題を変えるのはミレイの癖だ。この夜の世界ではミレイの天然物の話術は最大の武器になる。

できることならミレイの長年の夢の女優の道を極めてもらいたいのが早河の本音だったが、彼女が夜の蝶として花開く時が訪れるのも時間の問題だ。

「早河さんの名前は響きも漢字も風や水の流れを感じて、疾走感があって格好いい。私の影山深麗って本名は名前だけは宝塚っぽいのに実際はエキストラしかもらえない三流役者だもん」
『俺は影山深麗は名前も人間も好きだけどな』
「それ、プロポーズ?」
『どうして話がプロポーズまで飛ぶんだよ』

ミレイが作った二杯目の水割りを喉に流す。ミレイも自分の水割りを作っていた。

『これは俺の持論だが、名前にレイが付く女優はいい女優になる』
「それは元カノさんのことを言ってるの?」

 水割りを作る手を止めたミレイの手が早河の手に重なった。彼のこの手を独占していたことがある元恋人の本庄玲夏はミレイが目標としている女優だ。

『さぁな』

 早河がミレイの手を握る。綺麗なネイルアートが施された白い指と早河の指が絡まった。

 夜の街には恋人ではないが恋人のような男と女が溢れている。恋人のフリをして一時の甘い夢と駆け引きに溺れる。

恋人には見せない顔を恋人のフリをする相手には見せている。
そんな不思議な愛が夜の街には存在する。

『やっぱりボトル入れよう。たまにはママにご奉仕しないとな』

早河はミレイに優しく笑いかけ、テーブルのメニューブックに手を伸ばす。

 銀座の夜はまだ始まったばかり。



第二章 END
→インターローグ ~黎明の雨~ に続く
< 42 / 114 >

この作品をシェア

pagetop