早河シリーズ第四幕【紫陽花】
 東京に帰ってからは玲夏と蓮にはベッドシーンが予定されている。柚希と恭吾のたった一夜の例の場面だ。

(恋人でもない人とキスしたり、演技とは言っても裸同然の姿で男の人と絡んだりできるのって玲夏さんは本当に凄い女優さんなんだなぁ)

 ロケバスの外は豪雨だ。雨粒が窓に強く打ち付けている。

 黎明の雨のラストシーンの舞台装置として欠かせないのが雨の描写。
雨のシーンでは通常は人工的に雨を降らせるが、昼間に玲夏が予想した通り、まるでこのラストシーンのために用意されたような激しい雨を天が降らせてくれた。

最高の役者達に最高の舞台を天がプレゼントしてくれたのかもしれない。

 原作のエピローグでは恭吾の逮捕から数ヶ月後に柚希は女の子を出産したことが語られている。
彼女は誰にも娘の父親の名前を明かさなかった。柚希の叔父以外は誰も、柚希の娘の父親を知らない。


 ──あの子の生き方はまるで藤壺《ふじつぼ》だ──……叔父の白峰のモノローグで物語は幕を閉じる。
 藤壺とは源氏物語に登場する光源氏の初恋の人。一夜の過ちで光源氏の子を身籠り、生涯、息子の本当の父親を隠し通した女性だ。

この物語は最後にはたったひとりで、たったひとつの大切なものを守ろうと決めた女性の話だった。

 スタッフがバスの乗車口から顔を覗かせる。

『本庄さん、一ノ瀬さん、お疲れ様でした。すべてOK出ましたので今日の撮影は終了です』

 なぎさは腕時計を見た。22時36分、撮影終了。
長い一日がようやく、終わった。
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