早河シリーズ第四幕【紫陽花】
 サユリは三日月型に目を細めて早河を見つめる。

「それにしても、あなたも立派になったわね」
『堕落したの間違いじゃねぇの? 天下の警視庁の刑事が今はしがない探偵やってんだから』
「私はあなたが十代の頃から見てきてるのよ。あの頃に比べればあなたは随分、人間らしくなったわよ」
『人間らしくねぇ。確かに高校時代は今よりも投げやりなとこがあったかもな』

 ミレイ達のいない、早河とサユリの二人だけの空間では二人とも砕けた口調に変わっていた。

『ママは芸能界のネタに詳しいよな?』
「それなりには」
『女優の速水杏里関係でスキャンダルになりそうなネタない? 世間にバレると速水杏里の立場が危うくなりそうな、ゆすられる元になりそうなネタ』
「速水杏里ねぇ。あの子はグラビア時代が絶頂期だったと言われてるくらいに今は鳴かず飛ばずだものね」

テーブルに並ぶフルーツの盛り合わせからサユリはパインを選び、スワロフスキーのついた銀のピックを刺して品よく口に運ぶ。

「清原竜は知ってるでしょ?」
『ごめん、誰?』
「あなたって人は……。自分の興味のない分野にはとことん疎いわね。清原竜は80年代の映画の名監督として名を残した清原勲の息子で、若手の映画監督よ。去年の日本アカデミー賞の監督賞を受賞して騒がれていたからニュースで彼の名前を聞いたことはあるはずよ」

 政治、経済、裏社会の情報には常にアンテナを張っている早河だが、興味のない芸能界の情報にはさっぱり疎い。

「そんなボンクラでよく女優さんとお付き合いできたわねぇ。逆に疎いからよかったのかしら?」
『はいはい。で、その偉大な名監督の息子の清原ナントカって若手監督がつまりは速水杏里と?』
「噂ではね。ただ、清原竜には妻子がいる。もしネタが本物なら不倫ということになるわね。速水杏里は生き残りをかけた勝負どころでしょうし、清原竜も若手のホープ。世間に知られると二人のダメージは大きい。世間様は他人の粗相《そそう》には厳しく、自分の粗相には甘い、身勝手な人間の集まりだもの」

速水杏里の不倫スキャンダル。このスキャンダルをネタに津田が彼女をゆすっているとも考えられる。

「私はね、不倫をする女を馬鹿だとは思えないの。男と女は正論では語れない。理屈なんて通用しないわ。欲しい時はどうしたってその人が欲しいものよ。私が武田を欲しくなったのも、理屈では有り得ない。理屈で考えれば、誰があんなご都合主義の女好きな男を好きになるものですか」

 サユリは早河の支援者であり父の友人でもある現職の財務大臣、武田健造の愛人だ。武田とサユリは20年来の付き合いらしく、早河も高校時代からサユリと交流がある。

「可哀想なのは当事者の子どもよ。不倫は当事者達は自己責任。でも大人の欲に振り回されて家庭を壊された子どもにだけ、私は罪悪感を感じるわね。不倫をするのなら相手の子どもに殺される覚悟がないと、してはいけないのよ。社会的にも肉体的にも殺されたくないのなら人のモノには手を出さなければいい」

 サユリは武田との関係に後悔はないだろう。あるとすれば、武田の娘への罪悪感か。
穏やかに微笑するサユリの胸中は読み取れない。
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