早河シリーズ第四幕【紫陽花】
早河がなぎさと出会った頃、彼女は不倫の恋に苦しんでいた。不倫相手に子どもがいたのかは今となっては知る由もないが、なぎさも相手の子どもに殺される覚悟まではなかっただろう。
そこまでの覚悟を持って不倫を行える人間は、きっと少ない。サユリくらいなものかもしれない。
「そうそう、一輝は元気にしてる? あの子は最近顔見せないけど」
『アイツは神戸に出張。助手の助っ人に行かせた』
「へぇ。話は武田から聞いてるのよ。あなたと一輝と助手の女の子、三人で上手く探偵稼業やれているのね」
矢野一輝は武田健造の甥にあたる。
「今度、一輝と助手の女の子もここに連れて来なさい。私もあなたの助手さんに会ってみたい」
『矢野はいいけど……ママが俺の助手に会ってどうするんだ?』
「私はあなたの親代わりよ。お、や、が、わ、り。あなたが大事にしている助手がどんな子なのか見てみたいじゃない?」
サユリの不敵な微笑みにはいつも勝てない。話の雲行きが怪しい。
このまま長居をすればなぎさとのことを根掘り葉掘り聞かれそうだ。
早河はわざとらしく腕時計に視線を落とす。
「お帰りならミレイ呼んでくるわね」
サユリには早河の考えなど見抜かれている。まだまだ夜の女帝には敵わない。
キャッシャーの男にクレジットカードを渡して支払いを済ませたところで赤いドレスのミレイが席に帰って来た。悲しげに目尻を下げるミレイは飼い主の外出を寂しがる子犬のよう。
「もう帰っちゃうの?」
『ごめんな。次は仕事抜きで会おう』
「うん! 遊園地とケーキ食べ放題ねっ」
ミレイは彼にしがみついた。早河はミレイの背に手を回してドレスから覗く滑らかな素肌に触れる。数秒間、早河の腕にいたミレイが顔を上げた。
「ご来店ありがとうございました」
悲しげな子犬ではなく、メルシー人気No.3の顔に戻ったミレイに見送られ、早河は店を後にする。
並木通りを歩いて御門《ごもん》通りに出た。通りには車が連なり、ヘッドライトの群れが眩しかった。
早河が捕まえようとしたタクシーは先を越されて壮年の男と若い女が乗り込んだ。
やはりメルシーでタクシーを呼んでもらえばよかったと舌打ちした彼は、自分が乗るつもりだったタクシーを目の前で見送る。壮年の男と若い女の行き先は考えなくとも見当がついた。
男と女は正論では語れない……サユリの言葉が脳裏をかすめた。
そこまでの覚悟を持って不倫を行える人間は、きっと少ない。サユリくらいなものかもしれない。
「そうそう、一輝は元気にしてる? あの子は最近顔見せないけど」
『アイツは神戸に出張。助手の助っ人に行かせた』
「へぇ。話は武田から聞いてるのよ。あなたと一輝と助手の女の子、三人で上手く探偵稼業やれているのね」
矢野一輝は武田健造の甥にあたる。
「今度、一輝と助手の女の子もここに連れて来なさい。私もあなたの助手さんに会ってみたい」
『矢野はいいけど……ママが俺の助手に会ってどうするんだ?』
「私はあなたの親代わりよ。お、や、が、わ、り。あなたが大事にしている助手がどんな子なのか見てみたいじゃない?」
サユリの不敵な微笑みにはいつも勝てない。話の雲行きが怪しい。
このまま長居をすればなぎさとのことを根掘り葉掘り聞かれそうだ。
早河はわざとらしく腕時計に視線を落とす。
「お帰りならミレイ呼んでくるわね」
サユリには早河の考えなど見抜かれている。まだまだ夜の女帝には敵わない。
キャッシャーの男にクレジットカードを渡して支払いを済ませたところで赤いドレスのミレイが席に帰って来た。悲しげに目尻を下げるミレイは飼い主の外出を寂しがる子犬のよう。
「もう帰っちゃうの?」
『ごめんな。次は仕事抜きで会おう』
「うん! 遊園地とケーキ食べ放題ねっ」
ミレイは彼にしがみついた。早河はミレイの背に手を回してドレスから覗く滑らかな素肌に触れる。数秒間、早河の腕にいたミレイが顔を上げた。
「ご来店ありがとうございました」
悲しげな子犬ではなく、メルシー人気No.3の顔に戻ったミレイに見送られ、早河は店を後にする。
並木通りを歩いて御門《ごもん》通りに出た。通りには車が連なり、ヘッドライトの群れが眩しかった。
早河が捕まえようとしたタクシーは先を越されて壮年の男と若い女が乗り込んだ。
やはりメルシーでタクシーを呼んでもらえばよかったと舌打ちした彼は、自分が乗るつもりだったタクシーを目の前で見送る。壮年の男と若い女の行き先は考えなくとも見当がついた。
男と女は正論では語れない……サユリの言葉が脳裏をかすめた。