早河シリーズ第四幕【紫陽花】
 座敷の宴会場にはすでにADの平井透がいた。平井は用意された朝食の数のチェックをしている。
矢野は座敷の上がり口から平井に声をかけた。

『おはようございます。確か……一ノ瀬さんの付き人の……』
『矢野です。今日もよろしくお願いします』

矢野と平井は互いに会釈し合う。平井は作業に戻り、矢野は靴を脱いで座敷に上がった。

 座敷には長机が並べられ、回りに座布団が配置されていた。机には役者とスタッフのネームプレートがあった。誰がどこの席に座るか厳密に決められている。

 朝食は二段の重箱に詰められて用意されている。玲夏の席の重箱に見た目には不審な点はない。本音は中身を開けて料理に妙な細工がないか確認したいが、平井がいるこの場ではそこまでは出来ない。

湯呑みは各人の席に下に伏せて置かれていた。用意されたポットは3つ、急須は各テーブルに二つ。

(ポットと急須は共有、もし玲夏ちゃんに毒を盛るとしたら狙うのは湯呑みか、割り箸か……)

 平井の見ていない隙に玲夏の湯呑みを素早くチェックした。何かが湯呑みに塗られている痕跡は見当たらない。

セットで置かれた割り箸にも異常はなかった。ひとまず安堵して湯呑みと割り箸を元の位置に戻す。

 玲夏に届けられたあの手紙は早河が預かっている。矢野も現物を目にした。
手紙には〈殺しにいく〉と殺人予告も同然の脅しが書いてあった。差出人は本当に玲夏を殺すつもりなのか。

(真紀ちゃんに聞いた女物の整髪料と犬の毛も気になる。あと速水杏里の不倫スキャンダルか……。心証として真っ黒なのは速水杏里だよな)

 平井の行動をさりげなく監視するために上がりがまちに立っていた矢野は肩を軽く叩かれて振り向いた。
見慣れたなぎさの笑顔があり、張り詰めていた矢野の神経が和らぐ。

「おはようございます」
『おはよう。よく眠れた?』
「あんまり……。なかなか寝付けなくて」

なぎさは目頭を揉んで苦笑いしている。あくびを噛み殺す彼女は言葉通り寝不足気味に見えた。

『今日はマネージャーの山本さんも来るから少し楽になるかな。無理しないようにね』
「はい」
『お二人は前々からのお知り合いですか? ずいぶんと親しげに話していらっしゃいますよね』

矢野となぎさの様子を見ていた平井が話に割り込んできた。

『ええ、まぁ。本庄さんと蓮さんは同じ所属事務所の親しい間柄ですから、付き人同士の僕達も何かと交流があるんです』

当たり障りない回答で平井の詮索をやり過ごす。人懐っこい笑顔を浮かべるこの男が容疑者のひとりであることを忘れてはいけない。

 朝食時間の午前7時になると役者やスタッフが宴会場になだれ込んでくる。上座に主演の玲夏、蓮、監督、助監督の席があり、付き人のなぎさと矢野は玲夏と蓮の隣に席が用意されていた。

加賀見泰彦、香月真由、速水杏里、北澤愁夜、沢木乃愛も芸歴順に上座に並び、ADの平井は下座に席があった。

他の役者やスタッフ、ヘアメイクの西森結衣も指定の席に着く。
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