早河シリーズ第四幕【紫陽花】
 無差別と言う言葉が出るとあちらこちらで、か細い悲鳴が上がった。

(あの馬面、無差別殺人の可能性を指摘されたからってそれを口に出して関係者怖がらせてどうするんだよ)

野崎のやり方に矢野の苛立ちが募る。上野警部や真紀ならば、関係者の性別や年齢によって態度を変えることもなく、むやみに関係者を怖がらせるやり方もしない。

(最初から湯呑みに仕込まれていた線も捨てがたいが、俺はやっぱりピンポイントで平井さんを狙ったとしか思えない。毒を仕込む機会は平井さんが宴会場を離れてフロントに行った10分間……)

 宴会場が無人になった10分間は偶然訪れた空白の時間だ。もし平井がフロントに行く用事がなく、宴会場を離れなかった場合、犯人はいつ湯呑みに毒を仕込むつもりだった?

どこかで平井の行動を見張っていない限り、どの時間帯に宴会場が無人になるか知り得ない。

(平井さんがたまたま宴会場から離れたから……待てよ? 本当に“たまたま”だったのか?)

無人の10分間は犯人が作り出した空白の時間だとしたら……?

『とにかく、矢野さんと秋山さんには警察までご同行願えますかな?』

 野崎の優しい声色はかえって不気味だ。母親の旧姓で呼ばれたなぎさは顔を強張らせ、矢野が立ち上がって野崎と相対する。

『どうして俺達が警察に行かないといけないんですか? 物的証拠もないのに任意同行ですか?』
『今のところ疑わしいのはあんたと秋山さんだ。それに平井さんが倒れた時のあんたの対応がずいぶんと冷静で手慣れているように見えたと、ここにいる皆さんが証言しているんだよ。死体を見れば動転するのが普通の人間、でもあんたは有難いことに現場保存まできっちりとしていたなぁ。よく口も頭も回る、今もここにいる誰よりも冷静そうだ。……お前、何者だ?』

 ドスの効いた野崎の声が響く。矢野と同じテーブルにいるなぎさや蓮、玲夏は矢野と野崎の一触即発の空気に息を呑んだ。
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