早河シリーズ第四幕【紫陽花】
   ──神戸──

 ホテル七階の708号室がなぎさに割り当てられた部屋だ。窓から見えるポートタワーは濡れた赤色をしていた。
早河と通話が繋がった携帯電話を耳に当てて、ベッドに腰掛ける。

 今朝の騒動で食べ損ねた朝食の代わりにホテル側が提供してくれたパンがテーブルに置きっぱなしになっていた。結局クロックムッシュをひとつ食べただけ。
空腹は感じても食欲はなかった。

{嫌がらせの容疑者のひとりが死んだか……}
「警察は自殺だと言っていますけど、矢野さんは何か引っ掛かるって……」
{矢野が引っ掛かるのは俺もわかる。今後の撮影はどうなるんだ?}
「監督とスタッフが今話し合っています。監督は亡くなった平井さんの弔いのためにも撮影は続けたいらしいですが、最終的にどうなるのかは、まだわかりません」
{死人が出ても撮影続ける気かよ}

早河が咳き込む音が聞こえた。声もかすれている。

「大丈夫ですか? 風邪ですか?」
{あー……大丈夫。平気だから心配するな。もし平井が自殺じゃなく殺されたとすれば殺人犯はドラマの関係者の中にいる。気を付けろよ}

 やはり彼は体の調子が悪そうだ。電話を終えた後も早河のことをぼうっと考えていたなぎさはノックの音で我に返った。

「どちら様ですか?」
「あ、あの……沢木乃愛です」

扉越しに聞こえたのは可愛らしい乃愛の声。なぎさはロックを解除して扉を開けた。

「乃愛ちゃん、どうしたの?」
「いきなり訪ねて来ちゃってすみません。ひとりでいるのも心細くて……。上のラウンジでお茶しませんか?」
「まだ警察の捜査もしているでしょうし、部屋から出ても大丈夫かな?」
「見張りの刑事さんがいたので確認しましたけど、ホテルの外を出ないならいいって言っていましたよ」

 首を傾けて微笑む乃愛はさすが美少女コンテストのグランプリだけあって愛らしい。

あの野崎警部も乃愛に対しての態度は穏和だった。男も女も乃愛にお願いされたらなんでも願いを叶えてあげたくなる。
そうさせるだけの魅力が乃愛には備わっていた。
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