早河シリーズ第四幕【紫陽花】
平井透の居住するアパートは夢見《ゆめみ》荘という名前の古びたアパート。名前だけは響きはいいが、手入れのされていない外観はまるで廃墟だ。向かいには小さな児童公園がある。
平井の自宅は二階の201号室。二人は部屋に指紋がつかないよう白手袋を嵌めて平井の部屋に入った。
室内には人が長時間留守にしていた時特有の、ムッとして澱んだ空気が漂っている。
玄関を入ってすぐにこじんまりとした板張りの台所、奥に六畳の洋室と和室が二間続いていた。真紀は冷蔵庫を開け、横にあるゴミ箱に捨てられたカップ麺の容器を見下ろす。
「平井は料理はあまりしなかったみたいですね。冷蔵庫の中はビールと水だけ、あとはインスタント食品ばかり」
『男の独り暮らしなんてそんなものだ』
「早河さんはそれなりに料理はしてたって玲夏が言ってましたよ。でもメンタル荒れるとすぐに部屋がぐちゃぐちゃになるし料理もしなくなるーって」
『玲夏はお前にはなんでも話すんだな……』
早河にとって真紀は元恋人の親友、真紀にとって早河は親友の元恋人、そんな人間とこうして誰にも秘密の捜査をすると言うのも、奇妙な光景だ。
早河も真紀も互いに苦笑いして捜査を進める。
早河は台所に面したフローリングの部屋に入った。簡素な黒のローテーブルには6月8日の朝刊と空のマグカップが置いたままになっている。
壁にはこの地区の広報のカレンダーがかけられていた。
「矢野くんの仮説どう思います?」
『平井と一ノ瀬蓮の湯呑みにだけ本人の指紋しかなかったことの一応の筋は通っている。平井が犯人Aだとするとずいぶん穴だらけな計画ではあるが』
「仮に一ノ瀬蓮が毒殺された場合、真っ先に疑うのは湯呑みの準備をした平井ですからね」
『共犯者は最初から、平井の計画の穴を利用して平井を殺すつもりだったのかもな』
彼は壁を塞ぐように並べられた大きな書棚を見た。AD関係、経済、自己啓発、話し方のハウツー本など、様々なジャンルの本がびっしりと棚を埋めている。
3年前に逝去した日本ミステリー界の帝王と呼ばれた推理小説家の間宮誠治の小説も数冊並んでいる。間宮の遺作として出版された【混沌の帝王】の上巻と下巻も平井の蔵書の一員だった。
甦る3年前の記憶と共に、手にした【混沌の帝王】の上巻をパラパラとめくる。早河の意識を3年前から引き戻したのは真紀の声だった。
「確かに自殺する人間がコンビニでカップ麺の買い置きはしませんよね」
台所のゴミ箱からしわくちゃのレシートを見つけ出した真紀はレシートを早河に見せる。店名はこのエリアの駅前のコンビニだった。
レシートの日付は6月7日の日曜日の14時、神戸ロケの前日だ。
平井の自宅は二階の201号室。二人は部屋に指紋がつかないよう白手袋を嵌めて平井の部屋に入った。
室内には人が長時間留守にしていた時特有の、ムッとして澱んだ空気が漂っている。
玄関を入ってすぐにこじんまりとした板張りの台所、奥に六畳の洋室と和室が二間続いていた。真紀は冷蔵庫を開け、横にあるゴミ箱に捨てられたカップ麺の容器を見下ろす。
「平井は料理はあまりしなかったみたいですね。冷蔵庫の中はビールと水だけ、あとはインスタント食品ばかり」
『男の独り暮らしなんてそんなものだ』
「早河さんはそれなりに料理はしてたって玲夏が言ってましたよ。でもメンタル荒れるとすぐに部屋がぐちゃぐちゃになるし料理もしなくなるーって」
『玲夏はお前にはなんでも話すんだな……』
早河にとって真紀は元恋人の親友、真紀にとって早河は親友の元恋人、そんな人間とこうして誰にも秘密の捜査をすると言うのも、奇妙な光景だ。
早河も真紀も互いに苦笑いして捜査を進める。
早河は台所に面したフローリングの部屋に入った。簡素な黒のローテーブルには6月8日の朝刊と空のマグカップが置いたままになっている。
壁にはこの地区の広報のカレンダーがかけられていた。
「矢野くんの仮説どう思います?」
『平井と一ノ瀬蓮の湯呑みにだけ本人の指紋しかなかったことの一応の筋は通っている。平井が犯人Aだとするとずいぶん穴だらけな計画ではあるが』
「仮に一ノ瀬蓮が毒殺された場合、真っ先に疑うのは湯呑みの準備をした平井ですからね」
『共犯者は最初から、平井の計画の穴を利用して平井を殺すつもりだったのかもな』
彼は壁を塞ぐように並べられた大きな書棚を見た。AD関係、経済、自己啓発、話し方のハウツー本など、様々なジャンルの本がびっしりと棚を埋めている。
3年前に逝去した日本ミステリー界の帝王と呼ばれた推理小説家の間宮誠治の小説も数冊並んでいる。間宮の遺作として出版された【混沌の帝王】の上巻と下巻も平井の蔵書の一員だった。
甦る3年前の記憶と共に、手にした【混沌の帝王】の上巻をパラパラとめくる。早河の意識を3年前から引き戻したのは真紀の声だった。
「確かに自殺する人間がコンビニでカップ麺の買い置きはしませんよね」
台所のゴミ箱からしわくちゃのレシートを見つけ出した真紀はレシートを早河に見せる。店名はこのエリアの駅前のコンビニだった。
レシートの日付は6月7日の日曜日の14時、神戸ロケの前日だ。